まだ56才という若さでした。
あっと言う間に半年経過しました。立派なお墓も出来上がり納骨式と故人を偲ぶ会が行われたのです。
日曜日の午前から昼にかけてです。
親戚やごく親しい人を招いての法要です。
寺の住職の話も大変よいものでした。
このような催しを行うことで日本人の文化が継承されてゆくのだと思います。
住職の話し。
花を仏様にあげますね。
花は造化ではいけません。造花の花は落ちないし葉っぱも枯れないし。
生きた花、生花でなくてはならないのです。
花は赤や白、黄色にオレンジ色など様々に綺麗に咲き誇っています。
それぞれに個性があるわけです。
人も同じ顔はありませんし、個性も一人一人違いますね。
それぞれが、精一杯個性ある「花」を咲かせるよう努力すればよいのです。
他人と同じように咲かせようとするからおかしくなるのではないでしょうか。
努力しなくてよいということではありません。
一人一人異なるのですから、咲かせかたが違って当然なのです。
花は綺麗に咲き誇りますが、必ず花は落ち、葉っぱも枯れてゆきます。
これが人の人生を写す鏡であるというのです。
人もそれぞれ個性があり、精一杯「花」を咲かせようとします。
どんなに立派な花になろうととも、その「花」はいつまでも咲いていません。
どんな人間でも必ず「終わり」というものを迎えます。
特に権力を持っている人ほどこのことを考えねばならないと思うのです。
ややもすると永遠に続くような錯覚を持ちますのでね。
必ず終わりがあることを・・・。
とても素晴らしい感動的な納骨式・偲ぶ会でした。
※写真はその宗派の作法を説明している副住職です。
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