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市川稔の米(マイ)情報

一日ニ玄米四合ト

先日岩手に行った際に「宮沢賢治記念館」に立ち寄りました。

偉大な教育者であつた。

農業の生産性向上にも情熱を捧げ、教育の大切さを説いた。

あの有名が詩が・・・・
(ケータイのカメラでパチリ)

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク

中略

一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜を食ベ

・・・・・・


改めて考えるとビックリですねぇ~

一日ニ四合ノ玄米?

一合は約150gだから600gということに。

玄米のまま炊いたのか分搗きなのか。

どちらにしても炊き上がりは2,2倍にはなるので1,320gにも。

3回に分けて食べたとしても1度に440g!

どんぶり超大盛りを三度三度食べていた計算になります~

月に一人18kg。

あんれ、すんごいねぇ~

そういえば、食管法を定めた時一人あたり月間15kgの配給だったと記憶しています。実際はそんなに配給しなかったようだが。
(間違っていたらゴメンナサイ。どなたかご存知でしたら教えてください)

食べ物の少ない時代は米をそれだけ食べても腹ペコだったと。

今や、月に5kg弱って感じ。
それも外食や中食も含んでだからね。
ちなみに家庭内消費の方が少ない。


経済的に豊かになるとコメ消費は悲しいかな落ちます。

韓国や台湾の減り方は日本の比ではなかった。

なんといっても人口が多い中国の動向が気になるね。
なんと中国でも数年前から年率2パーセントくらいづつ減り出した。
現在は白米換算で年間100kg弱。
たった2パーセント減るだけで年間260万トン消費減に。

ありゃ、どうなるかね~

今朝はこんなことを思ったのでありました。

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コメント一覧

pai
昔読んだ本で、戦時中の配給制度の頃は、
一人一日あたりの米の配給が三合だったという話が
記憶に残っています。

昔の日本人なら、月に15キロ…くらいでいいのかも。

実際には、戦時中の配給だと、
二合何勺(字あってるかな?)かに減らされたり、
代用のイモや豆か何かの配給にされたようですが。

こういった話は、戦時中のことを覚えてる方に、
今のうちに聞いておくしかないかな…。
(昭和ヒトケタや大正時代の皆さんだから、
もう亡くなられてる方も増えていますが。)

ウチの父母や親戚(親の代が農家)の人たちだと、
比較的、農村が近い地域だったらしくて、
配給の苦労より、戦時中でもリヤカー引いて
親戚や実家の農家に食料を取りにいったような
話を聞いたことがあります。
(中部地区のほうです。
現在でも静岡県や愛知県などは農業生産金額も高く、
渥美半島や知多半島や三河地区や木曽三川方面などの
農業は盛んです)
戦時中の配給の苦労は、都市部の話が多そうです。

今日は東京近郊で住んだアパートを引き払いました。
大家のお婆さんが嫁いできた頃は、ここも農村地帯
だったそうです。殆ど宅地化され農地わずかです。
今では、多摩川梨などの農園が少し残る程度ですが。

21世紀の国際的な新時代にがんばる日本の農業関係の
皆さんには、気持ちだけでも応援してみます。
(今月は、中国にも米輸出再開されていますし)
ミカン農家だと、日本で不人気な大玉のミカンが
海外で好評だったりとか、いろんな話がありますね。
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