市川稔の米(マイ)情報

12月8日も忘れてはいけない

先の大戦が始まった日であります。

なぜ、奇襲なのか。

卑怯者を嫌う日本の武士道精神は奇襲を行うとは考えにくい。

当時の慣習では戦争を始めるにあたり、事前に通告するルールはない。

外務省の担当が遅れて持参した。


1941年(昭和16年)当時、アジアの小国が帝国と名乗り、英米に戦争を仕掛けるわけだから世界中が驚いただろう。

戦争しなければならない状況に日本は経済封鎖などで追い詰められていたことも事実。

今朝の東京新聞に、アメリカの資料によれば、12月8日前の段階で日本海軍の暗号も解読してらしいという報道が。

日本から数千キロ離れたハワイにある基地を攻撃。

航空母艦に戦闘機を配備して広い太平洋を渡り攻撃してきたのだからアメリカも驚いたし世界も驚いた。

航空母艦と戦闘機

この最新の軍事装備は持てる国などそうない。

自前で建造したのだからすごいこと。

巨艦大砲主義の戦艦大和や武蔵はなんの役に立たなかった。

航空母艦と戦闘機の組み合わせが最強なことを相手に知らせてしまったようなもの。


日本では「大東亜戦争」と言いました。

戦争に負けて戦勝国が「太平洋戦争」という呼び方に変えたのです。

戦争はやってはいけません。

でも現実問題として現在でも大国は軍事に多額の金を使い続けています。

パワーバランスの上におっかなびっくり成り立っているという認識を持たなければならないでしょう。


日本国内のいたるところの地方都市におもしろい宣言文が市役所などに堂々と看板あったりします。


「平和都市宣言」

わたしたちの町では戦争をおこなさない云々と・・・・・・


これこそ平和ボケの象徴だね。

地方議会で採択したことに何の意味があるのだろうか?


そんなことよりも、歴史を正確に子供たちに教える努力をすることが大切ではないか。

史観に基づくのではなく

史実に基づくことが大切です。


史観とは個人により考え方見え方が違います。


史実とは真実を正しく分析すること。


戦争に負けて日本は約7年に渡り占領されていました。

日本が再度主権を回復したのは1952年4月28日です。

サンフランシスコ講和記念日

その時、沖縄は切り離されました。



記念日には先人のさまざまな想いを偲び現代に生き、次世代に伝えてゆく役目があると思います。

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