10月中にはほとんど刈取が終わりますね。
玄米換算で、900万トン弱が、田んぼから倉庫に移されると思うとき、やはり大きな商品なんだなぁと。
近代日本のカタチとは、大東亜戦争に負けた、いわゆる戦後に出来上がった部分が多いですね。
都会と地方の関係は特にそういうことが云えると思います。
都市に住む人口が増えて、都会から地方へのお金の循環という意味では、米は大きな存在でした。
戦争中に出来た「食管法」が50年以上も続いたことにより、米生産者も、米流通業者も相場感というものが退化したようだ。
食管法が廃止され10年も経つというのに、まだまだアタマは食管という人が多いのかも知れない。
JAに集荷される米は生産量の半分以下なのに、今だにすべてを動かしているかのような錯覚をおこしているようだ。
モノの価格とはどのようにして決まってゆくのでしょうね?
米価格は下がり続けてきました。
在庫リスクを政府や全農に持ってもらっていた時代は過ぎ去り
自己責任の部分が大きくなってゆくわけです。
米会社も、仕入というものが大きく変わりました。
相場を読む力というものが大きな意味を持つようになりました。
また、相場に左右されにくいやり方というものも大変重要なことです。
やり方いろいろ、人生いろいろなんです。
考えようによっては、実にオモシロイ時代であるとも思います。
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