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市川稔の米(マイ)情報

戦地からの手紙

4月3日に亡くなった姉の遺品などみせてもらっていた。

キチンと整理された写真や手紙、思い出の書類などがたくさんありました。

その中に父が戦地から母あてに送ったハガキの現物がありました。

軍事郵便とあり、検閲の印もあります。

日付は昭和19年1月1日となっている。

ビルマから送ったハガキです。

書き出しは、

明けまして御目出度とう
大東亜戦争第三春をビルマ國の一○○(ちょいと文字が不明)にて元気に迎えました。
君も元気なことと思ひます。本年も尚一層励まし合い共に元気に勝ち抜きたいと思ひます。

本日は早朝宮城への○○(不明)式を挙行の後、管内にて会食があり、量は僅かながら月桂冠の芳醇な美酒に酔然となり祖国の新春を偲びました。
何と云う偶然か元旦の今日日記帳を受け取りました。

中略

今年はきっと物事が順調に行くだらうと思ひます。
尚、10月29日発送の飛行郵便の返信も本日受け取りました。

後略



こんな内容の手紙でありました。

祖国への思い、家族への思い、遠くビルマの戦場から家族に書く心情が伝わってきます。

昭和19年1月1日、郵便物のやりとりができていたということは制空権はまだあったと推測できますね。
10月29日発送の飛行郵便が到着しているということはまだ深刻な状態になる前だったのだろうか。

「月桂冠の芳醇な美酒に酔然となり」というところが父らしい。お酒大好きだったし、戦前から酒の販売していたので懐かしかったのだろう。

この数ヶ月後にインパール作戦の命令が下った。


戦争がない社会にすることは絶対に必要なこと。

しかし、現実には今も巨大な軍事力を見せつけお互いに牽制しているのが実情です。

今の日本に欠けているもの。

それは、

国という概念であり、国家があり国民が平和に暮らせていること。
日本国のパスポートがどれほど価値があるのか認識しなければならない。

小生の父は最悪の作戦のひとつであるインパール作戦に行った。
行ったというか、命令は絶対服従で選ぶことなど100%出来ないが。

幸い、生き延びて帰国できたので小生は存在するわけだが。


改めて戦争の悲惨さ、先人の苦労を思いやり、戦争を起こさないための努力、そして現代はその時代を考えれば信じられないほどの豊かさにあることへの感謝の気持ちを忘れてはならない。

甘ったれたらいかんぜよ。

そう思うのでありました。

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