小生の思い出を少し書き留めておこうかなと。
「記憶を記録に」
お酒と女性を愛した豪快な人生でありました。
仕事は波乱万丈。
ハチャメチャな部分もたくさん。
70歳台でのある出来事。
友人から聞いた話です。友人のお母さんが病院に入院していてお見舞いに行った時のこと。近くの病室がやけににぎやかだと。
なんか「キャーキャー言ってる」ようだ。
近くに行ってみると看護婦さんが大きな声でしゃべっている。
「ダメよ、市川さん!」
検診に来た看護婦さんのお尻をさわっていたのでした。
病室の名札を見て小生の父親だとわかり納得したのでありました。
ず~っと昔。昭和30年台のこと。
家業は酒の販売もしていたので倉庫にはいろんな種類の酒がありました。
樽で量り売りの時代は「かくれて飲む」には重宝していたが瓶詰めになると不便極まりない。
倉庫の中には飲みかけの酒瓶がいくつもあったのでした。
子供ながらに婿さんは大変なんだと思ったのでありました。
もうひとつ。
酔っ払い運転も常習。
あるとき、小生を連れて夜の花街に。
小生は「ダシ」で連れて来られているので芸者ハウスで待機。
「まぁ、可愛いボクねぇ」とか言われてなにか食べさせてくれる。
こちらは眠ったりしているがそのうち酔っ払いの父が登場。
酔っ払い運転での帰還となるわけで・・・
気が付いたら田んぼの中に突っ込んでおりました。
クルマはダットサントラック。
昭和40年台の初め。
横浜日吉にある高校受験に父がクルマで行ってくれた。
行きはそれほどでもなかった雪が帰りには大雪に。
なんとか海老名まで戻ってきたが国分寺の坂(旧246号線)でたくさんのクルマが立ち往生。とうとう身動きできなってしまいました。シンシンと振り続ける雪。
あたりは真っ暗になった。
クルマは白のニッサンセドリックだったと思う。
歩いて帰るには遠すぎる。
「そうだ、中学校の校長先生の自宅が近い」
そう言って、二人で歩いて校長先生の自宅に行きました。
なんとそこに泊めていただいたのでありました。
その時、父は中学校のPTA会長していたので親しかったのでありました。
K校長先生有難うございました。
続きはまた・・・。
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秋田
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