市川稔の米(マイ)情報

台湾と日本

台湾の人々は日本が好きという人が多い。

北海道が一番人気。雪を見たい。寒いところ体験したい。
美味しいもの食べたい。

東日本大震災の時は人口2300万人の台湾が世界で一番の義援金を贈ってくれました。

一人当たりGDPは日本の約半分、収入と物価は日本のおよそ三分の一という台湾にとってべらぼうに大きな支援であり、人々の意思です。

われわれ日本人は感謝しなければならない。

あの時の日本政府の対応はひどかった。

台湾はかつて50年ほど日本でありました。1895年から1945年まで。

台湾では誰でも知ってますが、日本ではあまり知られていない日本人がいます。

台湾で米がたくさん作れるようになったのは灌漑のおかげ。

まずはため池をたくさん作りました。

次に巨大なダムを作りました。

当時は東洋一でした。

八田ダムといいます。

日本人の銅像はほとんど破壊されましたが、八田さんの銅像は今でもあります。
農民が隠して温存していたからだそうです。

東大出の技師である八田さんは台湾に派遣されたあと日本には二回ほど戻りました。

一度は嫁さんもらうため。

二回目は徴兵されたためです。
兵士になりフィリピン方面に向かう船が攻撃受けて沈没。

戦死されました。

残された奥様は戦争に負けた後、ダムに身を投げました。

そういう偉大な先人のことを日本人は誇りにしなければならないし忘れてはいけない。

日本の戦後教育には登場しない話しです。


iPhone5より。早朝の台湾から。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事