バンコクに住んでいた時、ご近所に・・・
それはそれは見たことも聞いたことも無いような
ガサツな日本人家族がいました。
・・・・・名は「伝治山」
それまでのワタクシは一人娘のわが子を大事に大事に育て、
ホテルの子供マナー教室へ連れて行ったりお茶やお花を習わせたり・・・うふん・・・
ステキでモダンな母子ってゆーのんテヘヘ
それが、あーた、その伝治山んちへ遊びに行くようになった途端・・・
海苔一条にお茶碗ひっくり返してご飯ぎゅぎゅっと丸めてワシワシ食べたり・・・
そこんちの兄妹3人と並んで屋台の焼き鳥ヒィヒィ食べたり・・・
賞味期限ギリギリのヤクルトをがぶ飲みしたり・・・
ヘッ
24歳になった今でも娘は言います。
「人生の全てはあの家で教わった」
久し振りに伝治山母こと「おネエちゃま」から電話をもらいました。
伝治山に向かって叫んでみる
あ~~~思い出すわね、
いっつもメイドさんと間違えられてたおネェちゃま
火星人に似たメイドのノンさんにタメ口きかれてたおネェちゃま
うちの夫と毎週末スーパーへ買出しに行ったのに噂1つ立たなかったおネェちゃま
いっつもハーダンガー刺繍を持って口開けて寝ていたおネェちゃま
ビール片手に子供3人を叱り飛ばすおネェちゃま(・・マジ怖かったbyうちの娘)
あ~~~本当に思い出すわね、
頭髪が一緒だから「ザビちゃん」と呼んでたご主人 (注:フランシスコ・ザビエル)
ミョーに細かった足、ハイレグのような短パン・・たまに半ケツ・・
私、ザビちゃんとよくアッチとコッチで昼寝したっけな~
・・そういえば2年間ザビちゃんのお金で卵買ってたんだよな・・
暑さにめっぽう弱いシルク(キャバ♂4歳)
今となっては笑えるけど苦労は山ほど。私は彼の地で絶不調・・大手術も経験。。。
でも、伝治山んちがいたので子供の面倒も見てもらえ療養に専念できたし
美味しいビールも飲めるようになった・・・
ホアヒンビーチで家族対抗「真剣バレーボール」もやったっけね。。。
みんな若かったわ~。。。
老人介護でめまぐるしい日々を送る私達・・・
夫達も退職目指してラストスパート・・・
幼かった子供達も社会人になった!
そろそろワタクシに会いたいかしら?
42キロ、貧弱だったワタクシの・・・
62キロとなった今のムッチリ色白姿を見せてあげようぢゃぁないのっっ!!!
そのうち行くから
待ってろっ、伝治山~~~