【将棋】山田定跡をひたすら称賛するブログ

居飛車急戦党の将棋史研究。
古の棋書から、将棋の思想・捉え方の変遷を追います。
時々、ネット対局します。

著作権ルールに関するお詫びと反省(その1)

2024-08-30 22:25:43 | ネットリテラシー・著作権など

今まで著作権ルールには無頓着だったのですが、ブログを通して不特定多数へ情報発信することになったので、著作権関連の本を何冊か読みました。そして、過去投稿を見返してみると著作権ルールに違反している恐れのある箇所が2件見つかったので、この場をお借りしてお詫びと反省を述べます。

 

①引用文をアイキャッチに使ってはいけない

前回の投稿「4五歩早仕掛け?の対策について」をリリースした当初は、山田先生の著作からの引用文を冒頭に記載しておりました。しかし、宮武氏の著書を読んで、前記は引用ルールに逸脱している可能性に気づきました。なお、当該文章は既に修正しております。

宮武久佳著「正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち」 p. 61の「守りたい引用ルール」からの抜粋[1]

「(1)自分のコンテンツとの脈絡において必要性があること(目立たせようというアイキャッチの目的や飾りの目的では使えない)」

※下線は筆者が追記。なお、(2)以降は割愛

一般的に、冒頭文は読者の興味を引くために趣向を凝らす必要があり、それを引用文に担って貰おうとするのは、正にアイキャッチの目的に該当します。これは知らなかったでは済まされません。深くお詫び申し上げます。

 

②歌詞の和訳は、たとえワンフレーズでもNGの可能性が高い

他の引用ルールとしては、引用文は自身の内容を補うためのサブ的なものであって、引用文自体がメインとなってはいけないというものがあります。このため、「洋楽の歌詞の和訳」という内容だと、たとえワンフレーズの引用であっても、他人が創った歌詞がメインと受け取られても仕方ないでしょう。それに、翻訳行為は明らかに、著作物の二次利用に該当します。

以前のブログ投稿「買ってて良かったオックスフォード現代英英辞典」では、英英辞典の活用方法がメインであるので、その活用例としてパンクロックの歌詞の一節を持ち出すのは、ルール違反を免れている気がしますがどうでしょうか。

以上の理由により、これからは楽曲への感想をメインに据え、その論拠として歌詞の一節を引用する形にします。著作権法(第47条の6)では引用文を自分で翻訳することが認められているため、これなら問題ないと考えます。

 

ブログを通して社会と関わっている以上、著作権の問題は今後も注意するように致します。関連文献を読んで気になることが見つかったら、またブログで取り上げるつもりです。

 

【参考文献など】

[1] 宮武久佳、「正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち」、岩波ジュニア新書、2017年


これからは実名でブログへ投稿します

2024-08-10 00:21:11 | ネットリテラシー・著作権など

以前から考えていたことだが、最近のSNS関連のニュースを見たことをきっかけに、これからは実名でブログへ投稿しようと思う。

2024年8月6日の読売新聞オンラインによれば、匿名のブログ投稿を名誉棄損だとして損害賠償を求めた訴訟において、被告に約120万円の支払いを命じる判決が下されたとのことだった[1]。このニュース記事では、投稿内容の一部が切り抜かれて紹介されていたため、前後の文脈を把握しようとブログを閲覧したが、残念ながら問題のブログ記事は削除されていた。

政府広報は「誹謗中傷と批判意見は違う」[2]としており、「相手の人格を否定または攻撃する言い回しは、批判ではなく誹謗中傷です。」[2]とのことだった。しかしこれだけでは、両者の違いは明確だとはいえない。

例えば、イデオロギー批判は話し手の意図に依らずとも、受け手の捉え方次第で誹謗中傷にも成り得るのではないだろうか。仮に私が資本主義を批判するとして、財閥の独占による経済停滞や、労働市場の失敗による児童労働の横行を具体的な論拠として、痛烈な批判を展開したとしよう。すると、資本主義者の多くは、その批判を理不尽なものと感じるだろう。それらの論拠は確かに事実ではあるが、恣意的に選ばれたものであるからだ。それに、イデオロギーへの批判はそれを信じる人々の価値観への批判とほぼ同じであり、価値観はその人の人格形成に大いに影響を与えるから、結局のところ私の論は人格批判、つまり誹謗中傷に繋がり得ると彼らは捉えだろう。

上記のように深刻に捉えるのは世間では稀だとしても、何かしら不快に感じる人々は多いかもしれない。というのも、私が他人の論を批判する際に、その論の論理的矛盾を取り上げる事は少なくて、むしろその方法論や認識論(広い意味でのイデオロギー)へ視点を向けることが多いからだ。それらは各人の主観的世界観を構築するので、私の批判行為はその世界観を部分的に侵すことにもなる。

だから、私がせめて出来ることは、批判は誠意誠実さに基づくという意思表示をして、相手が感じがちな不快感を軽減するぐらいだろう。その一環として、私の人格が投影された文章を書けるようになるために、今後は実名でブログを投稿しようと思う。良く考えたら、学術論文には署名が必須なのに、ブログには匿名投稿が一般的なのは変だ。たとえ個人の日記のような内容であっても、それを個人的なノートに記すのでは無くて、わざわざブログ投稿を選択するのは、自分なりの思いを他人へ伝えたいからだ。

 

【参考文献など】

[1] 読売新聞オンライン、「パリパラリンピック代表、名誉棄損で120万円賠償命令…「悪あがきもほどほどに」などと匿名投稿」、https://www.yomiuri.co.jp/national/20240806-OYT1T50223/、閲覧日:2024年8月9日

[2] 政府広報オンライン、「あなたは大丈夫?SNSでの誹謗中傷 加害者にならないための心がけと被害に遭ったときの対処法とは?」、https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202011/2.html、閲覧日:2024年8月9日