唐突で恐縮ですが、これまで毎週末に将棋道場へ通っていましたが、今後は通うのを断念します。
理由の一つは先生の指導対局についていけなくなったためですが、最たる理由は私が将棋を指す目的(故山田先生の思想に少しでも近づく)を実現させる見込みがないと考えたためです。
いきなりの申し出だったので、先生は納得いかないかのようなご様子でした。しかし、私は指導対局の順番待ちの間、小学生(二段)との対局後の感想戦にて「将棋は定跡通りに指すものと考えている」と言ったところ、それを先生は横で聞いていて納得されたようです。
彼女との対局では山田定跡(斜め棒銀)の仕掛けが生じ、彼女は△3五同歩と取らなかったので、幸いにも定跡の大切さを私なりに示す機会を得ました。感想戦では「自分のわがままに付き合ってほしい」と前置きした上で、山田定跡の本手順と2~3の失敗手順(居飛車・振飛車各々に対して)を一緒になぞりました。
さて、ここからは私が指導対局を続けるのを断念した理由を3点述べます。しかしながら、いずれも定跡がテーマという点では共通しています。
第一に、先生は「定跡を覚えても実戦では定跡どおりにいかない」と仰られます。しかし前記だけでは、実戦で上手くいかない理由としては不十分です。というのも、「定跡はちゃんと覚えているが、定跡と実戦を関連付けるスキルが不足している」という考え方もあるためです。前者と後者は全く意味が異なります。
第二に、先生の考えは棋士といえどもあくまで一個人のものであって、将棋界の一般通念ではありません(少なくとも山田先生の時代では)。山田先生はもちろん定跡を覚える大切さを説いていますし、師匠の金子先生の「定跡とは歴史です」という言葉も知られています。
第三に、これが最も大きな理由ですが、先生と私は意見が異なるにもかかわらず、先生は私に定跡を覚える理由を尋ねられませんでした。会話は一方向であり、先生の理屈や世界観が絶対であるかのようでした。プロ棋士はアマチュアより社会的に偉く、アマチュアは意見を述べることが許されないのでしょうか。一か月前に、とある指導棋士へセカンドオピニオンを受けている旨を申し伝えたところ、指導対局の度にその指導棋士の名前が出てくるのも気がかりでした。
私が定跡を重視する理由は「守破離」という一言に尽きます。それは将棋だけでなく、勉強や仕事においても重要だと考えています。
それでも、私の将棋が強くなったのは(1級⇒二段)、先生のご指導に依るところが多かったのは事実です。先生のご推薦により、日本将棋連盟から二段の免状を賜ることができました。今まで懇切丁寧にご指導下さいまして、誠に感謝申し上げます。これからは別々の道を歩むことになりますが、先生のご健康とご活躍をお祈りいたします。
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