【将棋】山田定跡をひたすら称賛するブログ

居飛車急戦党が、日々の対局記録を綴ります。
活動場所はリアル(将棋道場)がメインです。
あと、本の感想が少々。

5筋位取り中飛車に対する序盤の指方の見直し

2024-09-23 07:40:27 | 将棋

一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、将棋は原則として、対局者のどちらかが「投了」を宣言して初めて勝敗が決まります。囲碁や麻雀のように、終局時に勝敗が客観的に決まる訳ではありません。大抵の将棋アプリでは、玉が詰んだ時にアプリが自動的に勝敗を判断しますが、あれは本来のルールに反します。

囲碁や麻雀のルールでは、終局の条件と、終局時の勝敗の決め方が定められています。囲碁では、ダメが全て詰まった時に(厳密にはそれに加えて対局者双方がパスした時に)陣地の広い方が勝ちです。麻雀については言うまでも無いでしょう。

一方で、将棋は相手玉を詰ませば勝ちなのですが、1手詰みであってもルールを覚えたての人にとってはそれを判断するのは難しく、ある程度(10級くらい?)の棋力を必要とします。つまり、誰にとっても明らかな形で勝敗を判定することが出来ないので、相手自身に玉が詰んでいることを認めて頂くしかありません。

以上のような感じで、将棋道場では「負けました」と言うことが常識である理由を、私なりに合理的に説明してみました。しかし、私の将棋の先生は、精神的な意味でこのルールの重要性を説いています。その理由を私なりに要約しますと、「負けました」と言うのは己の未熟さを認める辛い行為であるものの、その反面、その人自身が自身の未熟さを気づくことが出来るので、その人なりに改善するきっかけを与えるものである。そして、対局と自己反省を通して試行錯誤することで将棋が強くなるいうものです。

上記は、カール・ポパーの「反証主義」[1]の将棋版と言っても良いでしょう。もちろん私もこの理念に賛成します。そういえば、少し前の日経新聞[2]で、ゴールドマン・サックスCEOのデービッド・ソロモン氏も、「レジリエンス」[2]という表現を用いて似たような趣旨を述べられていたような気がします。

しかしながら、現代社会には(昔よりマシになったとはいえ)全体主義がはこびっており、多分その悪魔的魅力の一つは、このイデオロギーには方法上「負ける」ことが無いことだと推量します。なので、先生の教えにケチをつけるようで心苦しいのですが、先生の理念を現実のものにするために、ファイヤアーベント[3]も勉強したいと思います。

 

おしゃべりがかなり長くなってしまいました。これから本題に移ります。中飛車に対しては玉頭位取りを採用することが多いのですが、最近あまり勝てていません。何か変な癖がついているのかな~。

それでHoneywaffle[4]で計算してみると、どうもそれ以前の問題として、最序盤で間違えているようです。下図が問題の局面です。

ここで、先手は▲6八銀と悠長に構えるのではなく、替えて▲5六歩と反発すべきです。

以下は、中飛車があくまで△5四銀に固執する場合を考えます。居飛車は▲3六歩で桂馬の活用を急ぎます。

中飛車側は、△3二金で2筋を先受けするのが自然でしょうか。居飛車は▲5五歩と取り込んで△同角なら、以下、▲同角、△同銀、▲2四歩、△同歩、▲同飛、△2三歩、▲3四飛、△4四銀、▲3七桂、△3三歩、▲4四飛、△同歩、▲2二歩として・・・

△同金なら▲4三銀~▲3一角の確実な攻めが生じ、桂取りを放置して△2九飛なら▲5九金引で中飛車に後続の攻めはありません。

 

戻って、▲5五歩に対し替えて△同銀なら、居飛車は▲3七桂で力を溜めます。

もし△6八玉なら、▲4五桂、△4四角、▲2四歩、△同歩、▲同飛、△2三歩、▲3四飛、△3三歩、▲4四飛、△同銀、▲同角、△同歩、▲5三銀の強襲が決まります。

それ以外の手なら(△5四飛や△4四銀など)、▲4五桂の攻めを含みに駒組を進めていけば良いかと思います。

以上を纏めると、中飛車が居玉の状態で乱戦に持ち込めば、玉形の差で居飛車が指しやすいというものでした。次からは最序盤で気を付けるようにします。

 

 

【参考文献など】

[1] カール・ポパー著、小河原誠訳、「開かれた社会とその敵」、第2巻下、岩波文庫、pp. 207、2023年

[2] 日本経済新聞、2024年9月8日朝刊、pp. 2

[3] P. K. ファイヤアーベント著、村上陽一郎・渡辺博共訳、「方法への挑戦 科学的創造と知のアナーキズム」、新曜社、1981年

[4] 渡辺光彦氏Webページ、https://note.com/honeywaffleshogi/n/nf5ea34e9b00b#29dc1524-1ef9-4e74-bcf3-1308018a5617、参照日2023年12月24日


対抗系3七銀戦法+船囲い初形への対策(四間飛車の立場から)

2024-09-08 08:47:19 | 将棋

この前に将棋道場を訪れると、新しい親子連れのお客さんがいらっしゃいました。お話ししたところ、その子は普段は別の将棋道場に通っており、近いうちにプロ棋士による昇段試験を受けるとのことでした。私にその練習相手が務まるとは思えませんが、四枚落ちの上手を持って対局したところ、小学生にしては珍しく序盤がしっかりしている印象を受けました。本来の棋力差に対して駒落ちのハンデが大きすぎるので、相手玉をほぼ受け無しに追い込んだ時点で満足していたところ、その子は私の玉を9手詰めの即詰みに打ち取りました。やりますねぇ。

その後、その子の平手の対局を観戦させて貰ったのですが、序盤を自分なりに工夫しているように感じられました。その子は後手でしたが、駒組から仕掛けまでは以下の感じでした。最近流行りの金無双急戦ですね。

居飛車の手順から山田先生の右銀急戦(3七銀戦法・4六銀戦法)の解説を思い出され、感心しながら対局を見ておりました。そういう訳で、今回は振飛車側に立って、右銀急戦を復習したいと思います。

 

以下が基本図です。▲3七銀のところでは本手は▲5七銀でしょうが、棒銀(▲2六銀)と▲4六銀の両含みとするためにこうしています。

まずは、居飛車が端棒銀に繰り出す場合。居飛車の囲いは4筋の抑えが弱いので、振飛車は端歩を受けずに3二銀型のままにし、▲2六銀の瞬間に△4五歩ポンするのはどうでしょうか。

居飛車は4筋を受けるために▲3七銀とするぐらいですが、将来的な▲3一角を防ぐために振飛車は△4一飛としておけば、少なくとも居飛車の出鼻をくじいた形になるでしょう。

次に、居飛車が▲4六銀とこちらへ繰り出す場合。でもこれは、振飛車が△4五歩と追い返したいですね。どうでしょうか。

ならば、▲3五歩~▲4六銀という風に、突き捨てを入れていから銀を繰り出しますか? それだと下図のような展開になって、将来的な△6四角が厳しくなりそうですが・・・。

この右銀急戦なんですが、振飛車党のプロ棋士の中には△4三銀を早めに決める方もいらっしゃっるので(下図は2024/8/22王将戦:高田五段vs西田五段)、その対抗策の一つとして▲5七銀~▲4六銀の仕掛けを含みにしつつ、序盤の駆け引きが行われているような気がします(※1)。なので、右銀急戦の仕掛けだけに注目するのは狭い見方かもしれません。

私にはそのような深い序盤知識は無いので、これまで通り5七銀左急戦を指していこうと思います。

 

(※1) (故)山田九段によれば4六銀戦法について、「それから、今一つの難点は四間飛車が4三銀と上がっていないと、つまり3二銀のままだと、4六銀と出ても効果が無いということである。」[1]

 

【参考文献など】

[1] 山田道美将棋著作集、第一巻、大修館書店、pp. 150、1980年


著作権ルールに関するお詫びと反省(その1)

2024-08-30 22:25:43 | ネットリテラシー・著作権など

今まで著作権ルールには無頓着だったのですが、ブログを通して不特定多数へ情報発信することになったので、著作権関連の本を何冊か読みました。そして、過去投稿を見返してみると著作権ルールに違反している恐れのある箇所が2件見つかったので、この場をお借りしてお詫びと反省を述べます。

 

①引用文をアイキャッチに使ってはいけない

前回の投稿「4五歩早仕掛け?の対策について」をリリースした当初は、山田先生の著作からの引用文を冒頭に記載しておりました。しかし、宮武氏の著書を読んで、前記は引用ルールに逸脱している可能性に気づきました。なお、当該文章は既に修正しております。

宮武久佳著「正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち」 p. 61の「守りたい引用ルール」からの抜粋[1]

「(1)自分のコンテンツとの脈絡において必要性があること(目立たせようというアイキャッチの目的や飾りの目的では使えない)」

※下線は筆者が追記。なお、(2)以降は割愛

一般的に、冒頭文は読者の興味を引くために趣向を凝らす必要があり、それを引用文に担って貰おうとするのは、正にアイキャッチの目的に該当します。これは知らなかったでは済まされません。深くお詫び申し上げます。

 

②歌詞の和訳は、たとえワンフレーズでもNGの可能性が高い

他の引用ルールとしては、引用文は自身の内容を補うためのサブ的なものであって、引用文自体がメインとなってはいけないというものがあります。このため、「洋楽の歌詞の和訳」という内容だと、たとえワンフレーズの引用であっても、他人が創った歌詞がメインと受け取られても仕方ないでしょう。それに、翻訳行為は明らかに、著作物の二次利用に該当します。

以前のブログ投稿「買ってて良かったオックスフォード現代英英辞典」では、英英辞典の活用方法がメインであるので、その活用例としてパンクロックの歌詞の一節を持ち出すのは、ルール違反を免れている気がしますがどうでしょうか。

以上の理由により、これからは楽曲への感想をメインに据え、その論拠として歌詞の一節を引用する形にします。著作権法(第47条の6)では引用文を自分で翻訳することが認められているため、これなら問題ないと考えます。

 

ブログを通して社会と関わっている以上、著作権の問題は今後も注意するように致します。関連文献を読んで気になることが見つかったら、またブログで取り上げるつもりです。

 

【参考文献など】

[1] 宮武久佳、「正しいコピペのすすめ 模倣、創造、著作権と私たち」、岩波ジュニア新書、2017年


4五歩早仕掛け?の対策について

2024-08-25 23:10:20 | 将棋

「居飛車側の攻めは十人十色。しかも、調べてみるとどれも有力な戦法のようだ。四間飛車は容易に組めるというのが将棋界の通説らしいが、話が違うじゃないか。」(にわか四間飛車使いのアマ二段、2024年)

 

対居飛車の後手番の作戦として新型雁木はまだ二軍調整中なので([3]を読んでる途中)、実戦ではときどき四間飛車を指しています。以前に比べたらマシにはなったかな。

改めて指した感想としては、美濃囲いって言うほど固く無いですね。6一の金が攻撃を受けると大体は寄り筋ですし。だから、振飛車は中終盤に手番が回ってきたら、攻めを繋ぎ切る必要があります。

それに、振飛車は定跡を覚えるのが少なくて済むと言われますが、本当でしょうか。山田先生の時代では確かにそうだったと思います。しかし、その後の研究で居飛車側の仕掛けが創られ続けたので、現代ではそうは言えないと思います。以下に、プロ棋士の言葉を抜粋します。

 

「振飛車が古くからアマチュア間で最も親しまれているのは振飛車が他のいかなる戦法よりも容易に組めるからである。(中略)この相手の策戦にかまわず容易に組めるということが今度の専門棋界に於ける振飛車ブームの一因であることは論を待たない。」((故)山田九段、1959年[1])

「(インタビュワーからの質問「四間飛車の魅力はどこにあると思いますか?」に対して)まずは振り飛車側から見て定跡がすごくラクで覚えやすいということ。そして相手がどう来ても常に自分のパターンで待っていられることが魅力です。(以下略)」(鈴木九段、2016年[2])

 

それはさておき、今回は最近よく見る4五歩早仕掛け?に対して、振飛車側の対策を考えます。疑問符(?)を付けたのは、途中の手順が少し変わっているからです。

基本図は下記となります。居飛車の陣立の特徴としては、①▲3七桂~▲4六歩を早く決めること、②▲4七銀と立っていることが挙げられます。振飛車は「▲4七銀は4筋での反撃時に当たりがきつくなる」と考え、△4三銀を決めます。

以下、▲4五歩、△6四歩、▲4四歩、△同銀、▲4六歩が問題の局面です。折角の持ち歩を低い位置に打っちゃうんですか?

次の▲4五桂を受けるだけなら△4三飛でしょうね。なおも▲4五桂に対しては△4二角とかわせば、▲4四角~▲5三銀の強襲を防げます。

あと、Honeywaffle[4]によれば△6三金と居直っても良いみたいです。▲2四歩の突き捨ては△同角で目標の角が逃げられるので(▲2四同飛~▲4三歩~▲3二角の筋が無い)、単に▲4五桂と跳ねるぐらいでしょうか。以下、△同銀、▲同歩、△8八角成、▲同銀、△3七角、▲2九飛、△4五飛は必然の進行だと思います。

居飛車には早い攻めが無く、しかも歩切れが痛い。一方で振飛車には△1五角成~△4六歩~△2六桂の攻め筋があります。居飛車の6三銀型を咎める形になりました。あれ、思った程ではない?

ちなみに、居飛車が昔ながらの5七銀左型で▲4六歩打をするとどうなるのでしょうか?まぁこれも、△7四歩と居直るんでしょうね。以下、▲4五桂、△同銀、▲同歩、△同飛で、定跡よりも振飛車が一手得しています。

 

 

【参考文献など】

[1] 山田道美将棋著作集、第一巻、大修館書店、pp. 97、1980年

[2] 日本将棋連盟、「将棋戦型別名局集2 四間飛車名局集」、pp. 20-21、2016年

[3] 佐藤和俊、「新型雁木試論 バランスとカウンターの新体系」、マイナビ、2022年

[4] 渡辺光彦氏Webページ、https://note.com/honeywaffleshogi/n/nf5ea34e9b00b#29dc1524-1ef9-4e74-bcf3-1308018a5617、参照日2023年12月24日


今更になって論理実証主義を学ぶ

2024-08-25 20:07:19 | 哲学専門書

将棋道場で行う感想戦でしばしば感じることですが、「将棋に勝った(又は負けた)原因は〇〇だ」と言うのは、一般的に思われるより遥かに難しいです。というか、哲学的には不可能だと思っています。なので私は、感想戦で相手の指手を指摘するのは、自分からはしません。相手から尋ねられたら指摘しますが、努めて謙虚な態度で行います。それ以前の問題として、所詮はアマチュアの見解ですし。しかし、ここから先は哲学の議論をするので、プロアマの区別は不要です。

私の主張はこうです。「将棋に勝った(又は負けた)こと」は誰もが認める事実ではあるものの、「その原因は〇〇だ(例:序盤で作戦勝ちした、中盤に上手く捌けた、終盤を読み切った)」という見解の正しさは、誰もが認めるような形に仕上げることは出来ない、と考えます。「その原因は〇〇かもしれない」と発言者が発想する時点では、その考えは仮説のはずです。そして、〇〇以外の変化手順をひたむきに調べ続ければその仮説の確からしさは増えるものの、将棋は複雑なゲームなので全ての変化手順を調べるのは現実的に不可能です。つまり、「その原因は〇〇以外には無い」ことの厳密な真偽は明らかに出来ないので、仮説は確からしさが増えてもやはり仮説のままであり、誰もが認める真実とは成り得ません。

上記の議論は自然科学にも展開できます。我々がニュートン力学の三法則を利用するのは、それは誰もが認める真実だからでは無く、それが仮説として他の理論よりも確からしいから、ということになります。経験によりテストされる理論には、常に帰納法の問題が付きまといます。

 

しかしながら、哲学を否定主義に留めておくのはつまらないことです。むしろ、たとえ不完全であっても、仮説の真偽に少しでも近づく方法を主体的に考える方が、外界の知識や知恵への興味を刺激して望ましいでしょう。このテーマについては色々な立場があります。弁証法的観念論(ヘーゲル)、超越論的現象学(フッサール)、方法論的虚無主義(ファイヤアーベント)等々。

自分といえば、今は論理実証主義に興味があります(理由は割愛)。この哲学は議論の厳密さを最優先するために、知識の生産性は他の哲学よりも低いように思います。でもそれは、第一次世界大戦後という時代背景を考慮すると、少なくとも動機としては頷けます。

そこで、論理実証主義の代表作である、A. J. エイヤーの「言語・真理・論理」[1]を読んでみました。幸いにも、ちくま学芸文庫が2022年に再版しておりました。議論の展開は荒っぽいですが、それは当時の哲学界の切羽詰まった事情のためでしょう。さらには国際社会もかなり混乱していました。そういう状況下の中でも、エイヤーは26歳の青年(初版出版時)であるにもかかわらず自身の言葉で哲学を展開しており、その知的勇気を私は尊敬します。

現代社会では大卒社会人2~4年目が執筆者の同世代に当たりますが、普通の若者はエイヤーみたいに自分なりに知識や知恵を構築しようとはしません。この原因を彼らの勇気の無さに求めるよりも、むしろ、その上のオッサン世代(私も含む)が自身の世界観を彼らに押し付けているのを反省すべきです。我々オッサンだってさらに上の世代から同じように押し付けられた、という言い訳なんてせずに。だから、私のようなオッサンこそ、知的勇気というのもを学ぶ必要があります。そういう訳で、エイヤーの他の著書も読んでみようと思います。

 

【参考文献など】

[1] A. J. エイヤー著、吉田夏彦訳、「論理・真理・言語」、ちくま学芸文庫、2022年