※これは11月20日の内容です。後ほど日付を変更します。
初代新幹線、0系。
2008年11月22日07:09 早朝の山陽区間を走行する0系電車
東京オリンピック開幕直前の1964年10月1日に走り始めて以来、幾たびかの改良を加えられながらも1986年までに合計3216両が製造され、2008年11月まで実に44年と2ヵ月を走りきった、日本の鉄道の記念碑的な存在です。
新幹線には、多くの逸話があります。そもそもは戦時中の弾丸列車計画(東京~下関~(海底トンネル!)~釜山~瀋陽~長春(満州国首都新京)、瀋陽~天津~北京、天津~シンガポール)で用地買収が行われていた土地を活用したとか、日本坂トンネルや新丹那トンネルは戦中にほとんど工事が終わっていたとか、そのために1959年に着工したにもかかわらず、わずか5年後の1964年に開業できたとか。
0系車両も、旧海軍の陸上爆撃機「銀河」をモチーフにデザインされたとか、開業初日の新大阪発東京行き初列車の運転士が、多くの乗客がビュッフェの速度計前に集まっていると連絡を受けて張り切りすぎ、210km/hで連続運転したために新横浜通過が定刻より5分も早く、その後東京駅まで徐行運転したため山手線に抜かれたとか。
開業時から、いや開業前からエピソード満載だった「新幹線」と「0系車両」ですが、高度成長の象徴ともされ、また世界初の210km/h運転により、世界的に台頭していた鉄道斜陽論を吹き飛ばして地球規模で鉄道を復権させたその実績は計り知れないものがあります。
かくいういたっきいも、0系新幹線には深い思い入れを持っています。
いたっきいの実家は、1972年に開業した山陽新幹線新大阪~岡山の沿線、兵庫県の西の端あたりにあります。実家の最寄りの新幹線橋梁は、有名な撮影地のひとつ。時刻表やポスター、カレンダーの写真にもよく使われていて、鉄道ファンなら「あ、あそこね」とすぐに分かる場所です。古いアルバムには、父親が撮影した建設中の高架橋や、走り始めたばかりの0系新幹線(当然、大窓車)の写真があったのを覚えています。
小中高と、毎日新幹線の橋をくぐって登校していて、腕時計をしていなかった当時は0系新幹線の通過で時刻を測っていました。「朝の07:56に通過する新幹線をこの場所で見たら、ダッシュで学校に間に合う!」とか、学校の教室から新幹線を見て、「あ、もうすぐ授業が終わる」とか。恐ろしく正確なダイヤだったんだなあと、今更ながら感じます。徹夜で試験勉強をしていたときに、始発の列車が走行する音を聞いて「げ!もう時間がない!」と思ったり、FMラジオにパンタグラフから出る火花が原因のノイズが入るのが当たり前だったり、日常の生活のなかに新幹線が存在していました。
…
前置きが長くなってしまいましたが、そんな0系新幹線がいよいよなくなるというのです。
これはぜひ見て、乗っとかんとアカンのとちゃう!?
というわけで、11月22日~24日の三連休を利用して、“0系新幹線に乗る旅”に出てみることにしました。
しかし、ただ単に0系に乗るだけではおもしろくない!
そこで、やや趣旨をかえて“東海道・山陽新幹線の「全区間」、既存の「全車種」に乗る!”という旅に変更しました。
全区間というからには、終点は「博多」ではないですよ。当然、あそこです。
全車種とは、0系、100系、300系、500系、700系、700系7000番台(E編成)ひかりレールスター、N700系のことです。
まずは、効率的に、0系にできるだけ関わるように、ダイヤを調べてみます。しかも離脱間際の0系です。メディアも騒いでいるし、ブログなどでも盛り上がっています。ここは確実に座って旅を満喫できるよう、全行程を指定席で(実際、そんな必要はないと思ってはいましたが)いくことにしました。
時刻表でダイヤを見て、JR YBER STATION で空席状況を調べ、効率的に、かつエレガントに、かつ他人様からここまでやるか?と呆れられるようなプランで計画します。
パソコンの前で格闘すること約3時間…
できるだけ理想に近い、空席のある列車で計画を作りあげ、こと細かに条件をつけて(禁煙、何号車、車両の東京方付近、D席 など)プリントアウト、みどりの窓口に持って行って発券してもらいます。Express予約やMV端末(指定券自動券売機)では対処できないややこしい乗り継ぎがあるので、窓口に行くしかないのです。
発券に時間がかかることがわかりきっていたため、わざわざ窓口の多い駅に行きました。
「あーすいません。この通りの切符がほしいんですが…」
「拝見します。えーっと…(約10秒の間)…これ、全部ですか?」
「はい」
「…お一人で?」
「はい」
「…発券にかなりお時間がかかりますが、かまいませんか?」
「こちらこそ、ややこしいこと言ってすみません」
「いいですよ、やりがいがありそうですから」
…窓口のお兄さん、ただ者ではありません。
時刻表を繰り、マルス端末を軽快にたたき続けること約30分!
ようやく切符が出てきました。
しかも、なんといたっきいの予想をはるかに超え、なんと16枚も…
(MV端末で購入できる切符7枚に関しては、先に自分で買っていましたので、計23枚)
「たいへん長らくお待たせしました。それではご確認ください」
「…あ!日付が1日ズレていますよ!」
「あぁっ!スミマセン… もうしばらくお待ちいただいてよろしいですか?」
「大丈夫です。こちらこそスミマセン…」
お兄さん焦ってます。スミマセン…
発券時から、すでに前途多難な気配がします。
時刻表を繰り、マルス端末を軽快にたたき続けること約15分!(さすがに慣れたのか、大幅な短縮です)
ふたたび切符が出てきました。
「大変お待たせしました。今度こそ大丈夫だと思います、ご確認ください」
(約2分間の確認)
「たしかに、これで大丈夫です」
「これ、同じ列車に2度も乗るんですねえ。こんなのはじめてです」
(意訳:こんな馬鹿なことする人いませんよ)
「スイマセン、変なことお願いして…」
「いえ、おもしろかったですよ。楽しんできてください」
…このお兄さん、やはりただ者ではありません。
ちなみにこれが、みどりの窓口とMV端末で発券された切符たちです。
1名、東京~九州一往復分
普段薄い財布の厚みが変わってしまうほどの量です。
無くしたら、シャレにもなりません。
まさか、あとでさらに切符が増えようとは…
あそこはいいですよね、バックが緑で、カーブと勾配があって。高校生くらいの頃、あのあたりをマウンテンバイクで走り回っていました。
開業初日のエピソードは、小学生の頃に親に買ってもらった新幹線のムック本(タイトル不明)に乗っていたのを覚えていたんです。
113系より静かなのは、単純にギア比の関係でしょうか。転勤する前、一時期113系で通勤していましたが、モーターがうなりというより悲鳴に聞こえるくらい頑張っていても、100km/hも出ていませんでしたから。転勤したあと毎日乗ってた201系も同じように感じました。231系や233系に乗ってると、モーターついてる?と思うことがあるくらい静かですね。
特に
>開業初日の新大阪発東京行き初列車の運転士が、多くの乗
>客がビュッフェの速度計前に集まっていると連絡を受けて
>張り切りすぎ、210km/hで連続運転したために新横浜通
>過が定刻より5分も早く、その後東京駅まで徐行運転した
>ため山手線に抜かれたとか。
これは初めて知りましたね。やはりテツ分濃いですよ。これは元富士急の運転士の影響でしょうか?
私も高校は東京都大田区西馬込に有った(現在廃校となりましたが)の都立高校に通っていて、通学中に0系と並走する横須賀・総武快速線113系を日常的に見ていました。何故か113系の音よりも0系の方が速く走っているはずなのに静かなのです。
>赤穂の大津トンネル付近とかw(wikiの写真など)
はい、これの「ひかりレールスター」、700系7000番台は私が撮影したものです。利用者IDを見ればわかると思います。
動くものは何でも好きなだけです!<ますますダメっぽい
吉井川も有名な撮影地ですね。赤穂の千種川と並んで、よくポスターなどに使われます。あと、赤穂の大津トンネル付近とかw(wikiの写真など)
14日義士祭の日は、0系のラストランの日でした。臨時の「ひかり」として、久々に最高速度で走りました。指定席は数秒で売り切れたらしいです。
ウチの実家でも、例の橋の上まで行って見てきたらしいですよ。
昨日の日曜日に、実家に帰ってたら、岡山の吉井川にかかる新幹線の橋のトコで、たくさんの人がカメラを構えて車を止めてましたよ!
結構な渋滞が出来てたから、ナニカと思ってたら…
昨日が最終日だったのかな?
この日記の続き、楽しみにしててイイのかな?(^-^)ワクワク