この映画に暴力の故郷を見た
否定や憐れみ、誇張や助長を剥ぎ取ったストイックな眼差しから生まれたその映像には
人間が宿す残虐性がありのままに映し出されていた
僕は見ている間「なぜ」という疑問や問いかけを一度も抱くことがなかった
感情が乱れることもなく、また生理的な嫌悪も生じなかった
あぁこれが人間なのだと、これが僕らであり、これが僕らの生きている世界であり、これはただの前提なのだ
と、感じた
と同時にこの映画に美しさを見る僕がいた
映像が美しいのだろうか…
衣装?美術?俳優?…
美しさに幾度も息をのみかつその美しさに救いを見た
身体の景色では「憎悪→暴力→喪失→絶望→虚無」これらを見詰め続けてきた
が、しかしそこには常に「なぜ」という視点が必ずあった
問いかけるのではなく前提として飲み込む
その上でどう生きるか
ここをおさえ作品を見つめる
追伸:
映画のクライマックスは、ちと把握しかねるものがあった
ん?父親はどうして少年を迎えに来た?
誰かが父親に少年の存在を知らせたの?誰が??これはご都合主義的な??
どこかに描かれていたら畏れ入ります
僕が見逃しただけなのでしょう…
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