心が競争原理に満ちていては、目に見え無いモノを知覚することはできない
欲求の根源が物質的なものに根差していては、俳優は自我のバケモノに容易く成り果て、演技はただの自己顕示に成り下がり、やはり知覚できない
現実に呼応する衝動は、時に行く手を阻む
滅すること難しくとも、それとは異なる渇きと言おうか、切羽詰まった(と言うと語弊も生じるが)ナニカが衝動として俳優の根源に無ければならない
そこは必ず問われるし、ある時点で否応なく突き付けられる
村上春樹の作品で飛翔は「壁抜け」や「森の深部」にて、象徴的に、或は隠喩として表現される
舞台が良い時、その「壁抜け」と似た現象が起きる
俳優の集中が良い時(自我が消えたその先で)、「森の深部」と近しい深部が現れる
それは「しばしば」と「割と」の中間くらいの確率で起きる
それを「毎ステージ」にしたいと思い、日々精進している
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