これらは身体の景色が旗揚げ時より
その根やメカニズムを検証してきたものである
表現としては次に「絶望 喪失」が続き
最後に「一縷の希望」が加わる
嫌悪 憎悪 暴力 絶望 喪失 一縷の希望
一縷の希望は
ひとつの所作に託したり
ひとつの音に託したり
ひとつの単語に託したりしてきた
小学生の頃 同級生たちに石を投げつけられながら歩く少女を見た
中学生の頃 喧嘩の仲裁に入った時つい手が出てしまいその後オゾマシイ目にあった
高校生の頃 ビリーホリデイの「奇妙な果実」を初めて聴き 木に吊るされた人間の写真を見た(自殺では無い。虐殺されたのだ。その木には「正義は成された」と書かれていた)
流言蜚語に踊らされヒステリーと化した集団が徹底的に個を踏み躙る現代の様々な魔女狩り
正義の名のもと国家的な規模で行われた様々なジェノサイド
SNSと言う匿名の海に流布され漂う何気ない誹謗中傷にそれらの萌芽を見るとき
何とも言えぬ もうただただ何とも言えぬ気持ちになる
人間に生きる価値はあろうか
嫌悪 憎悪 暴力 絶望 喪失 一縷の希望
これらの検証はカタリにおいても行われている
絶望で終わることは簡単で
喪失を受け入れることも 辛いが それは何とかでき
希望 これが 難しい
表現として一定のリアリティと確信が必要となる
僕がどう生きるかも問われてくる
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