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身体の景色 (karada no keshiki)

2020 記憶ノ肖像 二部作

コロナのため中止となった公演
幻の舞台

ここのブログに経緯や またその後の思ったことを都度記してきた
記憶ノ肖像に関する記事一覧はコチラ

本番を迎えてはいない
がしかし 2020年の僕らの日々 その痕跡を
ここ「公演記録」に残す

必ず 上演する

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【ご挨拶(作成途中)】

細部から忘れてゆく
ゆっくりと しかし確実に
やがて 輪郭も色も 失われてゆく
どんなに忘れたくなくとも
どれほど失いたくないと願い続けていても
そして消えてゆく

しかしその忘却に飲み込まれず残るものもある
残ってしまうものがある
それはこの皮膚の奥に染み付きけして消えることなく又拭うことも叶わず
この肉体が朽ちたとしても別のカタチで在り続ける
どんなに忘れたくとも
どれほど捨ててしまいたいと渇望し続けたとしても

消えることを前提に生まれる
しかし永久に消えないものを刻印し続けながら

その矛盾(矛盾と言ってしまうのは乱暴なのですが)に
目を凝らして参りました

「更地」「たとえいつかきえてしまうのだとしても」
この二つの舞台からふうわりと浮かび上がるものが
イノチの不思議と交わり
痛みや悲しみを やわらげるナニカに繋がることができたなら
そんな祈りにも似た想いを胸に 稽古を重ねて参りました




《記憶ノ肖像》

時が流れるなんて まるで嘘のようで
昨日のことのように思い出せるのに
それは数十年も昔のことで
目に浮かぶ景色や 伴う想いは鮮明であるのだけれど
それらはあまりに切れ切れで 霧に浮かぶ孤島のようだ

過ぎ去ってゆく そして消えてゆく 幻のように

全てが消えてなくなってしまう前に
この両の手で 懸命に掻き集め 
あなたが わたしが たしかに居たことを確かめようと
こうして身じろぎもせず 脳裏に浮かぶ朧な景色に身をゆだね 
かつての場所で かつてのように かつてのことを してみる
しかしこの行為もやがて
ありとあらゆるものと共に飲み込まれ
消えてしまう

記憶をめぐる 二つの肖像


〈出演〉

♢更地
女:佐藤祐香
老女:梁 鐘譽(大駱駝艦)
男:オカノイタル

☆たとえいつかきえてしまうのだとしても
父:森下高志(キンダースペース)
母:大久保美智子
妹:真衣
唄:牧野隆二(静岡県舞台芸術センター)
麦藁帽子の女:古木杏子(キンダースペース)
男:オカノイタル


〈スタッフ〉

♢更地
作:太田省吾
構成・演出:身体の景色
ドラマターグ:沈 池娟

☆たとえいつかきえてしまうのだとしても
原作:フェルナンド・アラバール「戦場のピクニック」より
作:岡野暢
構成・演出:身体の景色
ドラマターグ:田中圭介

音楽:松田幹
衣裳・小道具:杏子
舞台美術・宣伝美術:暢月

Special Thanks:太田美津子
企画・制作:身体の景色


【公演の中止について】

今般 緊急事態宣言が発令されましたことに伴い
公演実施の可否につきまして 出演者そしてスタッフと共に協議を続けて参りました

関係者 及び関係者のご家族 またご観劇頂く皆様への感染防止を第一に考え
先日 身体の景色vol.11 〜記憶ノ肖像 二部作〜 公演の中止を決定致しました

今後につきましては未定でございますが
「更地」「たとえいつかきえてしまうのだとしても」
それぞれの作品を単独で発表してゆこうと考えております
公演の詳細が決まりましたら 追ってこちらにご案内を掲載させて頂きます

日本が そして世界が
オソロシイ暗い霧に包まれております

パンデミックそのものも然る事乍ら
それ以上に ウイルスへの恐怖から制御を剥ぎ取られた偏見 底のない憎悪
そこから生じる差別 果てのない情動的暴力
これらが世界を覆い尽くす日が来るかのようです

演劇は ‘鎮める’ チカラを取り戻せるであろうか

必ずこの二部作を上演しよう
ただただ かように覚悟をする次第にございます

舞台のチカラを信じ

2020.4.17
身体の景色 オカノイタル
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