しかしそのシンプルな在り方の深みに驚かされた
ソロという過酷 しかしそこに横たわる無限の自由
想像力という一切の時空的制約から放たれた変幻自在な夢幻の自由
そこへ羽ばたいてゆくイメージ
僅かな身体の線の変化が静謐な空間に波紋を広げてゆく
これは新しい身体の景色であった
ここに記すことの出来ぬ障害があった
公演中止が再び脳裏をよぎった
白白と明けてゆく朱に染まる寧静な空を見ながら演技方法を変えるキッカケであることを知ったあの朝を忘れない
ここから
もう一度ここから
関わってくだすったすべての方々にこの場を借りて感謝申し上げます
本当にありがとうございました
感謝の念にたえません
ここから僕に何ができるのか
この先何本の舞台に立てるのか
50という年齢が何を意味してゆくのか
行雲流水
現成受用
名利共休
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身体の景色 カタリ Vol.1
2021.12/24~26
珠玉の短編 俳優の身体と呼吸
そして想像力が織り成す夢幻の世界
静謐な空間に 目には見えぬ 〈物語〉が立ち上がってゆく
太宰治 「魚服記」
寺田寅彦 「団栗(どんぐり)」
芥川龍之介 「羅生門」
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活動自粛を余儀なくされ一年
急速な価値観の変容の渦の中
それでも舞台は必要であろうかと日々自問して参りました
様々な要素を剥ぎ取っていったその先に残るものは何であろうかと
俳優の身体ひとつで勝負した2007年12月の身体の景色旗揚げ
呼吸・物語・余白
初心にかえりもう一度ソロから歩きはじめようと思います
以下詳細を記させて頂きました
ご高覧賜りご意見ご感想頂ければ幸いに存じます
ご来場を出演者スタッフ一同心よりお待ち申し上げます
〈出演〉
「団栗(どんぐり)」
佐藤祐香
「魚服記・羅生門」
オカノイタル
〈スタッフ〉
作:芥川龍之介 太宰治 寺田寅彦
演出:身体の景色
音楽:松田幹 馬渕格
照明:篠木一吉(創光房)
衣裳・宣伝美術:杏子
撮影:森田博之
舞台監督:森下高志
製作:身体の景色
〈会場〉
遊空間がざびぃ
〈日程〉
12/24(金)
★19:00〜
12/25(土)
15:00〜
19:00〜
12/26(日)
15:00〜
※各ステージ「魚服記・団栗・羅生門」の三本立てとなり 上演時間は80分〜90分ほどとなります
※開場は開演の30分前です
★のステージは公開撮影となります 監督に森田博之氏をお招きし舞台を撮影致します
①本番中 舞台上にキャメラがあがり 舞台面を自由に移動しながら撮影する可能性がございます
②皆様が劇場に入る際 又ご観劇中等々 お姿を撮影させて頂く可能性がございます
③撮影した映像はYouTube等で配信 又映画として上映させて頂く可能性がございます
以上3点を予めご了承頂きました上 ★のステージはご予約頂きますようお願い申し上げます
〈料金〉
★ ¥1,500
一般 ¥3,000
賛助券 ¥4,000
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「魚服記」 出演:オカノイタル
その滝壺で 木樵は大蛇に 少女は鮒に化身した
季節と共にうつろう少女の心の機微が 珠玉の言葉から静かに立ち上がる
太宰処女作品集「晩年」に収められた傑作
「団栗(どんぐり)」 出演:佐藤祐香
暮れもおし詰まったある晩 若き妻が吐血した 肺病である
2月の風のない暖かなその日 徐々に快方へと向かう妻を連れ 男は植物園を訪れた
ふいにどんぐりを拾い始める妻 男は聞く そんなに拾ってどうしようというのだ
妻が笑いながら答える だって拾うのがおもしろいじゃありませんか
寺田寅彦 初の随筆にして氏の代表作
「羅生門」 出演:オカノイタル
荒れ果てた平安京 死肉の上を旋回する鴉 暗闇に息を殺し死人の髪を抜く老婆
下人は生きるため その夜 盗人になった
芥川が帝国大学在学中に発表した短編
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身体の景色:
2007年 旗揚げ
日本が中世より育んできた自然観 またその自然観より生じた身体性(足・丹田・呼吸)
及び空間感覚(簡素・余白・静寂)を捉え直し その現代性を模索
あらゆる価値が経済の物差しのみで測られる現代 その価値観が極まった果てに巨大な虚しさを見る
舞台芸術を通して森羅万象と繋がる豊かさを示し経済至上主義との調和を目指す
2012〜13年 ミリャン国際演劇祭 招聘
2014年 ソウルシェークスピアフェスティバル 招聘
2020年より「言葉の景色」の名で短編小説の語りをYouTubeに配信
「身体の景色 カタリ」はその舞台版となる
佐藤祐香:
フリーで活動
身体の景色では、「戦場のピクニック(初演/再演)」
「光る道」「焼け跡のエレクトラ」に出演
Profile/Twitter/YouTube
オカノイタル:
演出家・鈴木忠志に師事 「ディオニュソス」「リア王」等に出演
14カ国17都市にて公演
2007年 身体の景色旗揚げ 以降構成演出を手掛ける
2012年 ミリャン国際演劇祭(韓国)にて演技賞を受賞
2020年 言葉の景色旗揚げ 短編小説のカタリを手掛ける
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【公演パンフご挨拶】
本日は身体の景色カタリvol.1へ
ご来場頂きまして誠にありがとうございます
芥川と太宰 両氏は時代を越え今尚幅の広い読者に愛され続けております
驚くべきことに文体未だ瑞々しく 主題が色褪せることもありません
両氏が掬い上げる 人間であればこそ宿さざるを得ない苦悩や業
またそれらを包み込む優しさ
(と言ってしまうと語弊があるかも知れませんが他に適切な言葉が思いつかず…)は
彼らが常に人間の 或いは己の弱さに寄り添い
筆を走らせていたからこそのように思えます
寺田寅彦は物理学者であり文学者
氏が漱石の勧めで初めて発表した随筆が「団栗(どんぐり)」となります
平明な美しい文体が 鮮やかな情景を そして夫婦の心の綾を立ちあげてゆきます
作品には時代を越えた苦しみや哀しみが描かれていると同時に
やわらかな希望が隠し添えられております
その添えられたやわらかさを希望と捉えるか否かは
読み手の心の在り方によると言えます
希望は祈りと同義
そして演劇の起源は祈り
パンデミック以降 顕在化した憎悪の混沌
その 僕らを闇に引き摺り込もうとする得体の知れぬバケモノと化したそれが
渦を巻き 今まさに世界を覆い尽くさんとしています
祈る(希望を失わぬ)重要さを噛み締める次第にございます
身体の景色は日本が育んできた自然観
またその自然観より生じた身体性 及び空間感覚を捉え直して参りました
それは呼吸と静寂が交わりゆく中に自然との融合を見る精神性であり かつ肉体です
僕らの仕事が微力ながらも上記バケモノを抑える一端を担うことができればと
日々稽古を重ねて参りました
各ステージ3本立て 上演時間は90分ほど
お楽しみ頂けましたらこれにまさる幸いはございません
今日こうしてお越し頂けましたこと またこのご縁に心からの感謝を
本当に 本当にありがとうございます
2021.12/24
身体の景色 主宰 オカノイタル
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【お礼状】
この度はお忙しい中、身体の景色カタリvol.1へご来場頂きましてありがとうございました。
感染予防対策のためとは言えご挨拶並びにお見送りができなかったこと深くお詫び申し上げます。
申し訳ございませんでした。
演劇に限らず、様々な表現形態におきまして、ライブの在り方そのものが問われる時代となりました。
インターネットを利用したライブ配信はさらなる進化を遂げ、想像もできない地点へゆくことと思われます。
しかし、演者が生身を晒し、観客の方々と時空を共にし実際に同じ空気を吸うことでしか体感できない微かなふるえ、その波動はITがどんなに発達しても拾い上げることはできない、そのようにも感じております。
ITは僕らを素晴らしい未来へ運ぶ大切な車輪。
しかしその車輪だけでは危ういバランスにあり、対となるもう片方の車輪の必要性も強く感じております。
身体の景色はその片方の車輪となる「目に見えないもの、数値化できないもの、言葉にならないもの」に耳を澄まし、小規模ながらもライブを大切にして参ります。
パンデミック以降の新たな世界、その全容は未だ見えてきておりません。
暴力がさらに広がってゆくのか、或いはやわらかな希望がそこに生まれるのか…。
まるで「羅生門」の最後の言葉のようでございます。
『下人の行方は誰も知らない』
長文申し訳ございません。
最後に重ねまして御礼申し上げます。
そしてこのご縁に深く感謝申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
大晦日に向け、寒さは更に深まってゆくそうでございます。
何卒ご自愛くださいませ。
身体の景色 オカノイタル
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【舞台写真】
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