『グレート・ギャツビー』
スコット・フィッツジュラルド
村上春樹訳
村上さんの訳で読んでみようと思って買ったけど、積読になってました😅
でも、今回読み始めたら止まらなかった。
映画は見たけれど、原作を読んだかどうだかは定かでありません。
映画の印象的な場面は強烈に残っているので、小説を読みながらついついイメージを持ってしまうのは仕方がないですね。
ギャツビーが色とりどりのシャツをふわ〜っとどんどん投げるところ。
河の向こう側にあるデイジーの屋敷の光を見つめるところ。
廃頽的なパーテイーの様子。
ギャツビーがデイジーに再開するシーン などなど。
しかし、原作と映画は違うところもあり、今回は本を楽しく読む事ができました。
とは言ってもとても深く哀しい物語です。
もちろん時代的には相当昔の話です。でも、そう感じない。
村上さんの訳者あとがきにあるように、今読む(10年くらいまえですが)人が自分の物語として読めるようにと考えながら訳したというようなことを書いていました。
そうか、そういうことなんだなと思ったのでした。
村上さんはこのグレイト・ギャツビーが人生を変えた3冊の中の1冊だそうで、とても思い入れがあり60歳になったら訳そうと思っていたそうな。
その少し前に取り掛かって訳したそうです。
英語の原作もなかなか一筋縄ではない文章だそうで、本当は原作で読んでもらったほうがいいけれど、相当な英語力がないときちんとは読めないようなものらしいです。
なので、そのニュアンスを崩さないように訳したいと努力したとのこと。
私には詳細はわかりませんが、時代を感じながらも古臭くなく、主人公とギャツビー、デイジーやトムなどの周囲の人々の描写が最後の場面に向かって進んでいくなんとも言えない不条理な感じをひしひしと感じました。
村上さんが物語の最初と最後の文章の美しさを強調してました。
フィッツジュラルドの生涯も客観的にはなかなか波乱万丈で若くして亡くなり、この作品の評価も生前はそれほどでもなく、亡くなってから高まったというありがちな展開だったようです。彼の人生を知ると、さらに趣深い思いがしました。
映画でストーリー展開はわかっていても、これだけ最後まで読ませるのは、フィッツジュラルドの才能と村上さんの才能の両方のおかげだろうと思うのでした。