北海道にまた厳しい冬が来てしまいました 夏には輝かしいほどの緑の葉で覆われていた木々もすべて葉を落とし、山々はモノトーンの世界へと変わる
渓魚達も長く辛い冬を生き抜く為に落ち葉や岩陰へと身を隠し春が訪れるのを静かに待っていることでしょう
また釣師達も約半年もの長い月日を渓流への想いをつのらせ春を待ちわびながら日々をすごしていと思います
そして冬が終わり路肩の雪山もジワリジワリと解け始めくると釣師の私は更に渓流への想いが強くなる
春はギョウジャニンニクに始まりウドとアズキナ、そしてタケノコ タケノコが終わるといよいよ渓流釣りのシーズン
私達の渓流釣りのベストシーズンは雪代が治まった直後から一ヶ月程まで この頃になると水温も上がり、越冬を終え痩せ細った渓魚達も体を元に戻すため頻繁に餌を追うようになる
その為か大物を目にする事も多い 雪代が治まったとはいえやはりまだ水量は多く、遡行も辛い事が多々あるがまたこれも渓流釣りの醍醐味とも言える
高巻にへつり、多くの大岩を乗り越え辿り着いた桃源郷 経験を生かし狙ったポイントへ餌を流し込む、仕掛けは上手く流れに乗る、するとふと目印が止まる
クッと手首を返しあわせるとググッと大物の引き よく「一生幸せになりたいなら釣りをしなさい」と言う言葉を聞くがまさにこの瞬間は幸せそのもの
足が衰えるまで一生釣りを止めるつもり事は無いと思う 出来れば想いを寄せる渓で生涯を終えたいと今からそう思う
もしも渓流に渓魚の姿が消え失せ管理釣り場でしか渓魚と出会えないのであれば私は潔く竿をへし折り釣を止めることでしょう・・・まぁどこかで聞いた言葉ではありますが・・・
「渓流釣り」私の釣りは渓流釣りというか「山釣り」といったところでしょうか 林道はとにかく行ける所まで走りそこから徒歩で数時間、渓の奥深くまで分け入る
そこは人工物のまったく無い原始の森 時折聞こえる獣達の声や気配、そして水の流れるせせらぎの音
流れの中に立ち空を見上げす~っと息を吸い込むと長い都会生活でのストレス、悩みや苦しみが体の中から流れ消える
「渓流釣りとは心の医者のようなもの」と言っている人がいるがまさに私にとって釣りとは医者そのものであるのです
少年の頃は魚を釣る事だけが楽しくて自転車に乗り数多くの川へ釣りへ出かけていた、けれども現在の私は釣りをする目的自体が変わっているのかもしれない
楽しむ為の釣りから心の病を治すための釣りへと
私は一時期渓流釣りから離れていた その頃の私の休日といえば朝からまる一日パチンコ屋、その為金銭的な事でよく妻と言い争っていた
そんな状態では仕事のほうも旨くいくわけも無くストレスからくる体調不良など次第に荒れた生活をおくるようになっていた
もちろん全く釣りをしなかったわけではなく五月の連休やお盆休みなどは故郷の渓に入り渓流釣りを楽しんでいた 年に二、三回程度だろうか
その時必ず同行していたのは会社の同僚 実家が共に道南という事でよく故郷の渓の奥地に入り込み、大岩魚と出会いそして滝を発見したりと楽しい思い出は多くある
今現在、また共に彼と渓流釣りを楽しむ事が出来ないのは非常に残念でならない しかし彼ならきっとどこかの渓で毎日釣りを楽しんでいる事は間違いないでしょうが
彼の事があってというわけではないが、また渓流釣りを本格的にするようになりました
春は釣りをしながらの山菜採り 夏は渓の奥まで入り大岩魚を狙い、秋は釣りとキノコ狩りと 渓流釣りは私達を充分に楽しませてくれる
少し残念なのが北海道は冬が長く釣りが一年を通して出来ない事 冬には冬の釣りがあるのだけれど私自身の想いはそこにあらずって事でしょうか
まぁ金銭的な事もありますけど・・・
釣りが出来るのはだいたい五月から十月ってまでといったところでしょうか 約半年は渓流釣りは厳しいものがあります
FFのかたはその間にフライを巻いたりしているのでしょうが私はもっぱら餌釣りが多いのでやる事がありません
地図を開いて来シーズンの計画を練ったりする事くらいしかないのです
多くの釣行の写真をまとめそれに文章を入れ記録に残してみようかと想いはありますが、なにせ文章力の無さは自分も厭きれるほど
いざパソコンの前に座りキーボードに手を添えるのですがそのまま一時間ほど固まる事も多々あることでして・・・
各方々のブログなどを読ませてもらっておりますがよくこんな上手い事書けるものだと感心尊敬する事も
岩魚に魅了されるようになったきっかけは源流釣師による書物を読むようになってからであり、その中でも白石勝彦氏による「大イワナの滝壺」は私の心に衝撃をあたえたのでした
今まで大きくても八寸程度の岩魚しか見たことが無くそれが最大と思っていました ところがその本の中では尺、いや四十を超える大岩魚が数多く紹介されていました
それからの私達は大岩魚を求め多くの渓の源流を釣歩くこととなりました しかし当時は渓流釣ブームだったこともあり目的の大岩魚には出会うことは難しくもありました
源流とはいっても日帰り釣師の私達でしたので、今思えば林道止め周辺をちょろちょろと竿を出していた程度だったと思います
そんな中、源流と言えるような奥地へ入り込みようやく大岩魚を手にした時の感動と喜びは今でも忘れずに心の中に残っています。
今ではそんな大岩魚と出会えることは大変難しい事だと思いますがまだまだ北海道の人知れぬ奥地には自然やヒグマ達に守られた大岩魚がひっそりと生きている事は事実
しかしながらそこへ行き着くには多くの障害や危険が伴う事となります そんな苦難の末に出会う大岩魚は私にとっては大きな喜びとなるのです
岩魚は多くの地方に伝説を残す不思議な渓魚です そんな伝説を残すような渓魚は他にはいないのではないでしょうか
「蛇を丸呑みする岩魚」「鷹と岩魚の戦い」「滝を攀じ登る岩魚」「水源まで上り隣の渓へ移動する岩魚」他には「岩魚の祟り」「支笏湖のアメマス伝説」などがあります
なぜ岩魚だけにそのような伝説があるのか その独特の容姿からなのでしょうか
しかし私にはその独特の容姿も宝石をちりばめたような美しい姿に見えるのです それは私だけではなく岩魚に魅了された釣師達は皆同じ想いだと確信しています
山女魚は確かに群を抜いて美しい渓魚だと思います そして虹鱒、その力強い引きに魅了される人も多いでしょう
どちらも魅力的な渓魚ではありますが問題は彼らの棲む渓なのかもしれません どうしても里川のイメージが消えないのです
虹鱒は今では自然産卵しその生息域を奥地へと拡げています でも私にとっての渓流釣とは奥山、そしてそこに棲む渓魚は岩魚でなければいけないのです
多くの渓流釣師の方々 「な~んだ岩魚か~」なんて言わずに一度手を添えてじっくりと見ていただきたい その岩魚の不思議な魅力にきっとあなたも気づくことでしょう。
これまで幾度となく私に感動や喜びを与えてくれた渓流釣、そしてそこで出会う渓魚達に感謝し来年も、いやこれからも息絶えるまで私に喜びを与えてくれることを願うしだいであります。
あまりにも暇な日々でしたのでここ一ヶ月で書き上げました なにせ幼い頃から勉学に励んではいませんでしたので誤字脱字は多少あると思います
この程度の文は書物のまえがき程度でしょうが私がこれほど長く活字を書いたことは多分生まれて初めてのこと
これからも日々勉強し(多分無理)ブログなどにUP出来ればと考えております
iwana47