鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
(2024年8月8日号)
*台湾と朝鮮半島の地政学2
だが、そもそも秀吉は、なぜフィリピンを攻略しようと考えたのか?その答えは秀吉の書簡の中に含まれている。書簡では「朝鮮半島から中国に入れば、フィリピンのルソン島に日本軍は容易に到達できる。そうされたくなければ日本と親善関係を持てばいい。この旨をスペイン国王に伝えよ」と言う趣旨だが、この時のスペイン国王はフェリペ2世である。当時のスペインは中南米の多くを植民地にしている世界的大帝国である。
フィリピン総督府はスペインの出先機関だが、スペインとの交通・連絡は、やはり当時スペインの植民地であったメキシコを経由していた。つまり当時のスペインは中部アメリカを根城にしてフィリピンに進出しており、その状況は19世紀末にアメリカ合衆国がハワイとフィリピンを植民地にして東アジアに進出してきた時の地理的な位置関係と同じである。
19世紀末、米国がハワイとフィリピンを植民地にしたとき、日本は非常な脅威を感じ、結局、この状況が20世紀における日米戦争の火種になったのだが、16世紀の秀吉は既に同様の脅威を感じていたと見ていいのではないか。
(続く)
(2024年8月8日号)
*台湾と朝鮮半島の地政学2
だが、そもそも秀吉は、なぜフィリピンを攻略しようと考えたのか?その答えは秀吉の書簡の中に含まれている。書簡では「朝鮮半島から中国に入れば、フィリピンのルソン島に日本軍は容易に到達できる。そうされたくなければ日本と親善関係を持てばいい。この旨をスペイン国王に伝えよ」と言う趣旨だが、この時のスペイン国王はフェリペ2世である。当時のスペインは中南米の多くを植民地にしている世界的大帝国である。
フィリピン総督府はスペインの出先機関だが、スペインとの交通・連絡は、やはり当時スペインの植民地であったメキシコを経由していた。つまり当時のスペインは中部アメリカを根城にしてフィリピンに進出しており、その状況は19世紀末にアメリカ合衆国がハワイとフィリピンを植民地にして東アジアに進出してきた時の地理的な位置関係と同じである。
19世紀末、米国がハワイとフィリピンを植民地にしたとき、日本は非常な脅威を感じ、結局、この状況が20世紀における日米戦争の火種になったのだが、16世紀の秀吉は既に同様の脅威を感じていたと見ていいのではないか。
(続く)
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