台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ34 私は、いつも逃げない。①

2012-10-11 17:30:35 | 台湾
私の生き方は、どんな困難、どんな辛い時も、逃げない。
子供の時、新聞配達何度、逃げたいと思ったか?
だから、逃げない生き方を覚えた。一度だけ、そう死にたいと思った時、少し、逃げようとしていた・・・・。あれは、私が正常の判断できなかった。
ほとんど、病気状態?けど、本当の病気でなかった。
だれにも、診てもらわなかった。だから、回復が早かった?
それとも、遅かった?
私は、何時も逃げないようにしてきた。たとえ、それが校長だろうと、保護者だろうと
生徒は、もちろん。
私は、たくさんの生徒殴ってきた。いや、それが正しい教育だとは、思っていない。
けど、子供って、時に我がまま、自分勝手、自己本位、他人の迷惑考えない。
一教師の迷惑は、OK。しかし、同級生の学習権を奪う権利無い。私は、自分の経験から
寝ている生徒・・・。絵を描いている生徒・・・・。少し、話している、たまになら・・・
俺の授業つまんないのか?ま、そうか。そういうときもあるが・・・。
大体の自由を許す。もちろん、教室で・・・。
トランプ。ゲームは、ダメ。道具使って遊ぶと・・・。他の生徒が見ていてまねする。
だから、ダメ。休み時間、・・・。
生徒に寛容すぎる教師、厳しさに欠けている面がある。それに、今も自分に甘い。
本当に、許せないとき、少し大きい声出す。(普段から大きいのに・・。)本人に気づいて欲しいから・・。次は、彼のそばへいって、注意する。
「たまには、勉強した方がいい!」これは、アドバイス。
そして、まだ、そのことをしているとき・・・。
「いい加減にしなさい」と今までの真面目なトーン(声)を出し、注意する。
 今まで、大体この演技で通用した。
たまに通用しない生徒には、近くの空き教室へ呼ぶ。「他の生徒のべんきょうは、邪魔するな」
「わかった!ほんとうOK」よかった。わかってくれて・・・。だから、できるだけ殴らないようにした。絶対は、ない。
 こんな私ですが、今まで、37年間で十何人かの生徒を殴ったか!
さすがに女生徒は、二人だけ。
何時も本気。逃げ出さない。これが、私のポリシー。
一回話変わるが『治郎さん、中国語から逃げていない?』
全然。きょうも、朝早くから今まで勉強して、さっき、マック(七張駅近くのハンバーガー店)から、帰ってきたばかり・・・。そんなに勉強しているのは・・・。なぜ?
話せないの?簡単。聴くことが難しいから。耳が遠い。そうじゃない。中国語同じ単語
いくつも意味がある。その為には、この言葉何声か判断する。しかも、瞬時に。
それに暗記がいつの間にか、苦手になって来てきた。もう少し、頭良かったはず・・・。
脳細胞死んでいっているから・・・。加齢、華麗なる人生。
 話を戻します。一度だけ、私が校長に休めと言われたことがある。○○校長に「治郎先生、すこし、おかしい?病院いったほうがいいと言われ、埼玉医大行ったが何ともないと診断された。
だから、私は、仕事から一度も逃げたことはない。
そりゃ、年休はある。だって、教師って、40日も休める。知っていた。
もちろん、そんなに休む先生いません.その時は『病休』とればOK。埼玉医大診断に一ヶ月かかる。そこで、私の知っている医者に「この人は、うつ病の疑いがあるので、一ヶ月の加療を要す」
これが初めて書いて貰った「病気診断書」。
                                 再見