台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ179  文化祭の思い出。

2013-02-10 19:49:47 | 台湾
 昭和57年度卒業。与野東中。
なんと言っても、文化祭。学年のテーマ、なんだか忘れた。とにかく、我がクラスは、『プラレタリュウム』を作ることになった。
大きな竹を仕入れて、それを曲げて、 傘のでかい奴を作っていく。新聞紙を竹の上に貼って。丸くした。星は、ムギ球。結構、ムギ球が高かったのを覚えている。
一個、当時、50円.。早坂とおれと、もう一人が、17号のお店まで買いに行った。
百個買ったのを覚えている。このから、その道が一方通行で、俺は、警察官に捕まり、
スクールゾーン違反で罰金。・・・・。だって、しょうがない。一方通行なんだから、
・・・・。17号を逆そうするわけにもいくまい。
 たしか、土日も出て、準備に当てたような気がする。「息子」が元気だったから、
そうだ。昭和57年の秋。
綿貫が俺の息子に、みんなで作った「糊」を食べさせやがって、奴いたずら。
たしか家は、ラーメン屋だった。
赤津と室町かな、学級委員は・・・。どうもその辺の記憶は、怪しい。
我がクラスは、三年四組。
西村、花まつ、前田、赤津、財津、早坂、綿貫、・・・。
女は、室町、井上、今村、ネコ、みかり、諏訪、高島、矢島、ひとみ、横田、
あと、・・・・。忘れた。ごめんなさい。
バレー部とかテニス部の元気のいい奴は、覚えているのだが・・・。
言えることは、わずかに二週間ぐらいの準備でよく仕上げた。
だれがどういうアイデア出したか全く覚えていない。おれは、いつもどおり「はだしのゲン」をやろうとしたことは、覚えているが・・・。
もう文化祭は、俺の手から離れ・・・。生徒自身の手で行われていたようだ。
おれは、したすらお金の管理と計算。買い物。
そして、完成し、そのできばえは、実に見事。
一つだけ。問題点があった。それは、お金が一万円をわずかだが、超えた。二百円ぐらいだと思うが・・・・。
そこで、生徒に相談した。オーバーしているがどうする。そんな二百円なんて、ごまかせば・・・・。そりゃ止そう。
おれは、きっぱりと言った。ごましてまで、「賞」を貰って、貰えないクラスの連中が
四組は、汚ねぇと言われるのは、嫌。
仮に「賞」を逃しても、正々堂々と闘った方が、あとで、気持ちいい。
そうしょう。
結果は、やはり、予算オーバーが響き、田中先生のクラスが最優秀賞。だったと記憶している。
 おれは、あまり「賞」とか縁がない。そんなに意味あることと思っていない。もちろん世の人は、その賞にいみのある、価値のあるものと見る人も多いのが事実。
ノーベル賞、国民栄誉賞とか、・・・・。俺生き方に「賞」は、無用。
そんなことより、生徒と一生懸命取り組んだ、思い出を胸に・・・・。
馬鹿に、今日の治郎張かっこいい。
そんなことないけど、おれの勲章は「卒業生」。
たくさんの「思い出」を演出・出演してくれた生徒。昭和57年度卒業生ありがとう。
                               再見。


178  落語研究会のこと。

2013-02-10 00:59:03 | 台湾
 台湾の正月前後の二日間。何だったんだろうと思うくらい、風邪に完全にやられました。
ま、身体は、自分では、「じょうぶ」と思い込んでいた節がある。だから、風邪ぐらいなんてこと内と思い込んで・・・・。
ま、自分の生活での天罰と受け止めています。
 今回も、いろんな人に助けられた。まず、「S」「りゅうさん」「すずきさん」「じん」「もとおくさん」など
はやり、周りの人の助けがあって、自分が居ると言うことを思い知らされた。一番は、、「S」「りゅうさん」の薬。
自然治癒力だけより、全然早かった。まだ、たくさんあまつているが・・・。
謝・謝。 明日からは、すこし、節制します。やはり、日頃の不摂生がたたったらしい。
 大学時代、落語をやっていました。落語の目的は、「どもり」を直す為。
おれは、落語超へたー。
 標は、とてもうまい。彼の落語には、「力の入っていない演技。」本田は、麻雀うまいが、落語は、日光の手前。
松沢は、正当は・・・。円生と同型。さすが演技部長。
福田は、俺たちの時代の部長。「彼は、とても偉い。大学六年もいた。今、居酒屋の店主とか。」
酒井は、福田の次の部長。年齢は、俺と同じ年。彼は、一応後輩。越谷在住。
石川さんは、いつも威張っている先輩、けど、年中・・・・。
あまり、好きでない。だって、言っていることとやっていることが矛盾。
部活動内は、恋愛禁止、とか言っているくせに、自分は、・・・・。こういう人は、好きでない。
上の人には、へつらい。後輩には、威張る。
年中おれは、石川さんに殴られた。
なぜ?喧嘩ごっことか言って、マジで殴られ役、殴られる方は、たまったモンじゃない。
だって、俺は、一度も殴り役したことない。
 雄ちゃんは、深谷商業出身。現在、銀行の支店長。 俺の後輩。
後、忘れてはいけない。
あのドジでユニークな「石井」。
こいつの家で、年中麻雀した。とてもいい奴。弟は、警察官なのに・・・・。
年中、お笑いのネタをいた。下手なギターを持って、・・・・。
ま、彼ぐらい、自由に生きた人は、いない。
彼が一生懸命働いたのを見たことない。けど、とてもいい奴。一昨年亡くなった。
惜しい奴、今生きていれば・・・。お笑い界に、・・・・。
無理。石井のギャグ俺は、あまりおもしろいと思わなかった。
麻雀でお世話になっているから、あまり本音を言わなかったが・・・・・・。
後は、柳井とか久場、三宅、いろんな奴に囲まれ、・・・・。
大学時代を過ごした。
俺が一番気があったのは、福田・標・雄ちゃん。みんな個性的な連中。つねに、遊ぶことを考えていた。
あと、頭のいい由紀ちゃん、ボインだったゆうかちゃん。
後輩で、ボインのめぐちゃん。
同級生の原田もいた。こいつは、おんななのだが、おとこか女か全くわかんなかった。
先輩では、三上さん・多田さん、・・・・・・。
いろんな先輩・後輩にお世話になった。中央大学落語研究会の会費一度も納めていない。
酒井がOB会の会長なのかな。わからん。
遠藤さんという頭のいい先輩。芸能会では、ニッポン放送の栗村さとる・ほうじょうさん
など、一応アナウンサーもいる。もちろん弁護士も。
俺以外で先生になつた、あのデブの「いとう」。こいつは、生意気でデブ。
落語は、うまかった。
 とにかく、いろんな人間がいた。
おれは、授業は出ない日でも、必ず部室には、顔を出した。
そして、ドアを開ける。「お○○●こ」と大きな声で言いながら・・・・。
誰が作ったか知らないが・・・・。
いまでも、後輩は、やっているのかな?
再見。