
なんと言っても、文化祭。学年のテーマ、なんだか忘れた。とにかく、我がクラスは、『プラレタリュウム』を作ることになった。
大きな竹を仕入れて、それを曲げて、 傘のでかい奴を作っていく。新聞紙を竹の上に貼って。丸くした。星は、ムギ球。結構、ムギ球が高かったのを覚えている。
一個、当時、50円.。早坂とおれと、もう一人が、17号のお店まで買いに行った。
百個買ったのを覚えている。このから、その道が一方通行で、俺は、警察官に捕まり、
スクールゾーン違反で罰金。・・・・。だって、しょうがない。一方通行なんだから、
・・・・。17号を逆そうするわけにもいくまい。
たしか、土日も出て、準備に当てたような気がする。「息子」が元気だったから、
そうだ。昭和57年の秋。
綿貫が俺の息子に、みんなで作った「糊」を食べさせやがって、奴いたずら。
たしか家は、ラーメン屋だった。
赤津と室町かな、学級委員は・・・。どうもその辺の記憶は、怪しい。
我がクラスは、三年四組。
西村、花まつ、前田、赤津、財津、早坂、綿貫、・・・。
女は、室町、井上、今村、ネコ、みかり、諏訪、高島、矢島、ひとみ、横田、
あと、・・・・。忘れた。ごめんなさい。
バレー部とかテニス部の元気のいい奴は、覚えているのだが・・・。
言えることは、わずかに二週間ぐらいの準備でよく仕上げた。
だれがどういうアイデア出したか全く覚えていない。おれは、いつもどおり「はだしのゲン」をやろうとしたことは、覚えているが・・・。
もう文化祭は、俺の手から離れ・・・。生徒自身の手で行われていたようだ。
おれは、したすらお金の管理と計算。買い物。
そして、完成し、そのできばえは、実に見事。
一つだけ。問題点があった。それは、お金が一万円をわずかだが、超えた。二百円ぐらいだと思うが・・・・。
そこで、生徒に相談した。オーバーしているがどうする。そんな二百円なんて、ごまかせば・・・・。そりゃ止そう。
おれは、きっぱりと言った。ごましてまで、「賞」を貰って、貰えないクラスの連中が
四組は、汚ねぇと言われるのは、嫌。
仮に「賞」を逃しても、正々堂々と闘った方が、あとで、気持ちいい。
そうしょう。
結果は、やはり、予算オーバーが響き、田中先生のクラスが最優秀賞。だったと記憶している。
おれは、あまり「賞」とか縁がない。そんなに意味あることと思っていない。もちろん世の人は、その賞にいみのある、価値のあるものと見る人も多いのが事実。
ノーベル賞、国民栄誉賞とか、・・・・。俺生き方に「賞」は、無用。
そんなことより、生徒と一生懸命取り組んだ、思い出を胸に・・・・。
馬鹿に、今日の治郎張かっこいい。
そんなことないけど、おれの勲章は「卒業生」。
たくさんの「思い出」を演出・出演してくれた生徒。昭和57年度卒業生ありがとう。
再見。