終末期医療という言葉があります。ターミナルケアとも呼びますね。その在り方は日本ではもう何十年も前から議論されてきました。
日本では自宅ではなく病院で最期を迎える人が圧倒的に多いようです。入院していると、いつまでどのような治療を行うのか、本人の意思と家族の意向、医師の考え方にもよって、ある程度さじ加減ができます。でも、末期がんなどで自宅で療養を続けるとすると、病院で可能な延命治療はまず受けることができません。
妻は、大量の薬を投与されて、ただただ生かされるようなことは望んでいないと思います。ただひとつあるとすれば、自宅で最期まで療養を続けると、周りの人たちに多大な迷惑がかかるということを気にしているに違いありません。今はあまりにも苦痛が激しいので、そんなことを思う余裕もないのかもしれませんが。
自分で歩いたり、食べたりできなくなれば、死んだ方がましだと、最近まで妻はときどき口にしていました。実際にそうなってしまった今も、そう思っているのかどうか、確かめるつもりはありません。ただ、苦しみ悶える妻の姿を見ているとあまりにも可哀想で、「安楽死」という言葉すら私の脳裏をよぎることがあります。
今朝の様子です。
お母さんが、2週間前に、まだ少しは元気だった妻から教わった手仕事をしながら見守っています。静かです。実は昨日は、一日中悶え苦しみました。その苦しみは今朝9時ごろまで続き、ようやく収まって眠っています。
苦しんでいるときはタイ語で「お母さん!」と叫んだり、「チビ!」と、可愛がっている犬の名前を呼ぶことが多く、私の名前を呼ぶのは何かをしてほしいときです。たまに息子の名前も呼びますが、なぜか娘2人の名前を呼んだことはほとんどありません。
私たちが出会ってから半年後、2004年9月に、遅い夏休みをとった私は彼女を連れてタイに旅行しました。
この写真は、私を歓迎してくれた親戚の人たちの一部です。日本人と会うのは初めて、という人ばかりなので驚きました。実家のあるカムペンペットに5日間くらい滞在しました。
お金のない妻は、もう2年も帰省できずにいました。実は日本で産んだ娘2人はちょっとした事情があってタイの親戚のところで暮らしていました。長いこと娘に会っていないと聞いて、さっそく帰省させることにしたのです。男の子は、この時はパスポートがなかったので、知り合いのタイ人に世話をお願いしました。
バンコクのドンムアン空港で2年ぶりにお母さんの姿を目にした2人は、遠くから走ってきてお母さんに抱き着きました。妻は「長いことゴメンね」と言って、ぼろぼろと涙を流しました。
当時2番目の娘は妻の母のもとで暮らしていました。でも長女は、実家が2人も面倒をみる余裕がなかったので、バンコク近郊の町で、ちょっと縁のある警察官の家に預けられていました。
当時8歳だった長女は、どうして一番下の弟だけ、ずっと日本でお母さんと一緒にいられるのか、不思議に思っていたに違いありません。しかも、弟だけ日本国籍があることを後になって知りました。
長女の心の中にはトラウマがあるに違いないのです。「私たち2人はお母さんから捨てられたんだ」と思うことがあったでしょう。このことは以前にもこのブログに書きましたね。
そのせいかどうか、長女はお母さんがこんな病状になっても家にはなかなか帰ってきません。私が電話すると「はい。今日帰ります。」と言うのですが、実際にはめったに帰ってきません。そのため親戚中が彼女を非難します。
妻のお母さんと長女。娘たちの父親は日本で暮らしていたタイ人ですが、娘たちの(タイの)戸籍には父親の欄が空欄です。実の父親は、私の養子となった男の子が生まれてすぐに家族を捨てました。
ちょっと込み入った話を書き始めてしまったようですね。妻の生い立ちや子供たちのことについては、また機会があれば詳しく書くことにしましょう。
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長女は親戚等人前が苦手で、きっと陰で無事を祈っています。
奥様が昔長女としてカムペンペツトの家族を支えた事を理解していると思います。
奥様のご病気の急変、その他諸々のことをほとんど理解していなかったのですが、うさぎさん、奥様のお身内、身近な方々のご尽力がひしひしと伝わってきました。
奥様が少しでも落ち着いた時間を過ごせますように、と祈るばかりです。
突然お嬢さんのことですが、ただ、トラウマのせいで帰宅しない訳ではないのでは?と勝手に想像しました。
家にはお世話をしてくれる気の置けない人が沢山いますし(人目を気にしてしまうし)、飛んで帰るということはお母さんがいなくなることに近いのを嫌でも自覚することにもなるのでは?と思いました。
もし誰もいなかったら、ひとりで一生懸命お世話しているのかもしれないです。
(この想像がちょっとは合ってるとして)それが他の人に通るものでもないでしょうし、特に親戚の人が納得するとは思えません。
私が何を言いたかったか?というと、親戚の人がお嬢さんを非難するのだから、うさぎさんはそれにあまり同調しないであげられたら、と思いました。普通の親子でも父と娘は難しい時もあります。まして奥さんが重病になると余計に厄介にもなります(自分のことです)。お互いに心のゆとりがない時にまともなことを言っても傷つくだけでは?それより、もしお嬢さんが帰ってきたらいつもより優しくしてあげてください。
お嬢さんも今後の人生の中でお母さん(とお父さん)の偉大さがわかってくるでしょう。
余計なことを一杯書いてすみません。うさぎさんより人生経験も短い身ですが、こんな考えもあるか、と一時でも思っていただければ、と思い、長々書いてみました…
上の娘は、かつてお母さんが自分を捨てたのではないことを今は理解していると思います。
別れたばかりの恋人が交通事故に遭った時、「誰も面倒をみる人がいないから、私がやります」と病院に長いこと泊まり込んで一生懸命看病した娘です。その違いは、妻には、たくさんの親戚、地域の人たちが献身的に支えているということです。だから、娘は自分の出番ではないと勘違いしているのかもしれません。ただそれだけであってほしいと思います。
のり3さんへのコメントバックにも書きましたが、仰る通りかもしれませんね。ただ普通のタイ人からすると、とんでもない娘ということになりますよね。
馬鹿ではないので、それくらいのことは分かっていると思います。これからも彼女はカムペンペットの親戚との縁が切れることはないので、ちょっとでもいいから、毎日顔を見せてほしいなと思います。他の親戚が「もうあの子には電話なんかする必要はないですよ」と私に言っても、私は毎日電話しています。怒らずに。
妻は3日ほど前、「長女を傍に呼んでほしい。話があるから」と言いました。来るのが夜あまりに遅かったので、妻はもう眠っていて話ができませんでした。娘は30分くらいだけ傍に居て帰りました。私はやっぱり悲しいです。
もう一言、余計なお世話で書かせてください。
多分、若い人にとっては親戚づきあいも結構面倒と言うか難しいものかと思うのです。今までの日本で想像しても。
そこを奥様のようにうまくやっていくにはそれなりの経験や学びが必要かと思うのです。
お嬢さんは若いしそれがうまくできていない(みんながいるお母さんの所へ来ない)から親戚の人から「電話する必要ない」と言われているのかと思うのです。
お嬢さんから見ればそんなところへは行きづらい、お母さんと話そうにも触れあおうにもみんなが娘より大きい顔して邪魔してる(から夜中になってしまう)のかもしれないです…
なんとか工夫して、他の人は近くにいない(帰ったフリとかどこかへ一時的に泊まったことにするとか)、邪魔しないでお母さんと話せる、それには早い時間がいい(お嬢さんが来る気になる)、という設定ができないものでしょうか? お嬢さんと話したい「お母さんのため」ならどなたか一人理解して、うまくとりはからてくださる人もいるのではないでしょうか?
私が考えても仕方ないことですが、なんとかうさぎさん(当然奥様)のお気持ちがお嬢さんに伝わることを願っています。
こんな善意に満ちた世界が存在するとは夢にも思いませんでした。もう一度、人間を信じてみようという気になりつつあります。
上の娘は妻の母親、妻の妹とうまくいっていません。幼稚園くらいのときに、下の娘は実家のおばあちゃんと暮らせたのに、上の娘は遠く離れたところで、しかも本人は全然知らない家庭で育てられたことが遠因かもしれません。
上の娘は妻の母親、妻の妹とうまくいっていません。幼稚園くらいのときに、環境のいい悪いは別にして、下の娘は実家のおばあちゃんと暮らせたのに、上の娘は遠く離れたところで、しかも本人の全然知らない家庭で育てられたことが遠因かもしれません。
昔の日本はもちろんのこと、今でも少しは残っている「助け合い」が当たり前の社会ですね。庶民のタイは。でも、少々うっとおしいと感じるときもあります。