楽園づくり ~わが家のチェンマイ移住日記~

日本とタイで別々に生活してきた私たち家族は、チェンマイに家を建てて一緒に暮らし始めました。日常の出来事を綴っていきます。

だんだん最期が近づいてきたようで辛すぎます

2017-05-16 20:38:01 | タイの家族

昨日、先日も来てくれた病院の女医さんと、看護婦さん3人が訪問してくれました。医者は妻の様子を見るなり「肺に水が溜まりはじめているようです。今救急車を呼びますから病院へ連れて行ってください。水を抜けばだいぶ楽になりますよ」と言いました。

ERで処置をしたあと、すぐにまた家に帰りました。ところが夜になって呼吸の苦しさがより一層激しくなり、また救急車でERに搬送してもらいました。結局、入院です。

抗生物質、鎮痛剤、生理食塩水などの点滴がおこなわれました

今朝7時ごろの妻。携帯を向けると、何とか微笑もうとしてくれました。これが精いっぱいの笑顔なのです。妻は「もう最後」と口走りました。笑顔が最後なのか、それとも・・・

「世界で一番愛してるよ」「私もあなたを誰よりも愛してます」・・・この言葉だけを2人で何回も繰り返しました。私は、一生懸命に涙をこらえて・・・

朝10時を過ぎて、医者は「家に帰してもいいですよ」と言いました。入院していると、点滴でいろいろな薬を体に入れられるのですが、どうやらあまり効果がないと判断したようです。そして、もう固形物の食事を与えてはいけないということ、薬もカプセルや錠剤は禁止されました。痛みを和らげるためには、液体のモルヒネを入れてあげるしか、もう方法がありません。

午後、一番上の娘がお母さんに会うために帰ってきました。そして実家から上の弟と二番目の妹、従妹がまた姿を見せました。

実は娘は、昨夜も深夜3時過ぎに病室に来ていました。でも苦しんでいる自分の母親を遠くから見ているだけだったので、妻の母の堪忍袋が切れました。病室から追い出してしまったのです。

そのころ私は自宅で息子と一緒にウトウトと休んでいました。そうしたら突然娘が電話してきました。シクシク泣いています。「お母さんに会いに行ったのに、入れてくれないの・・・。」「誰がそうしたの?」「おばあちゃん」

夜11時ごろに妻が入院するとき、私は上の娘に電話しました。でも、遅く病院に来たのと、お母さんに声をかけようとしなかったのでしょう。日ごろから娘の態度に業を煮やしていた妻の母が切れたのです。

今朝、病室の外の廊下で「妻は上の娘を愛しているし、娘も彼女を愛してるのに、どうして会わせないんですか?」と、妻の母に詰め寄ってしまいました。

でも、娘が久しぶりに家に帰ってきて、お母さんのベッドサイドにしばらく居れたのはよかったです。妻の母も、今度は追い出したりはしませんでした。でも、妻の発する言葉は、もうほとんど聞き取れません。私に話す日本語だけでなく、タイ語もみんなが聞き取れないようです。そのため、娘と妻の間には会話が成立しませんでした。妻には、上の娘に話したいことがたくさんあったはずなのに・・・

 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
stakさんへ (うさぎ)
2017-05-17 11:49:53
コメントありがとうございます。
6月までもつかどうか・・・
人は肉体が死ぬと魂がどこかに昇っていくというのはどうやら本当のことだと、私も実はずっと以前から思っています。

もう3か月以上も前のことですが、妻は「自分が死んだら台所にいますよ」と言ってました。私は、「台所じゃなくて寝室に居てもいいよ。でも毎日はダメだよ。」と答えました。ということで、妻はあまり上にはいかないかもしれません。(笑)
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Unknown (stak)
2017-05-17 05:57:20
うさぎ様
精神的にも、身体的にも一番つらいですね。
「心中お察し申し上げます」と言う言葉が有りますが、私は7年前に妻を亡くした時と同じ事が多いので、ほんとに今が一番辛いと思います。こんな事書いて良いかわかりませんが、私の妻も亡くなったのは6月で、肺に水がたまり、何回か抜きました。妻の最後は、私と子供たち3人で看取りました。亡くなったとき、私と次男は妻の魂が、天に上がっていくのを見ました。まるで天の川が空に上がっていくように、妻の体から天に上がって行きました。
今が、一番大変と思います。頑張って下さい。
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