最近になってやっと食料危機を特集する番組も増えてきましたが、まだまだ世論は人ごとのように物価高の方だけに気が行っているようです。日本農業新聞では、この関連の情報が豊かだ。論点の「命と心の支え/食をもっと大事に(鎌田 實)」の感想を二つ。
鎌田 實医師は「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んでいる。1991年にはチェルノブイリ原子力発電所被爆事故の患者の治療にも協力。著書「がんばらない」は2001年に西田敏行主演でテレビドラマとしても放映された。
今日の「論点」の記事は、チェルノブイリ放射能障害で亡くなった少年と日本人治療チームとの話を絵本にした「雪とパイナップル」についての話でした。(感想のもう一つの)詳しくは明日にでも全文紹介いたしますが、最近テレビで瀬戸内寂聴さんが「泣けた!泣ける!」の発言でこの本が注目されてきたらしい。
この話の舞台を産み出した22年前の「チェルノブイリ発電所事故」は私にとっても暗い記憶として心に貼り付いています。ソ連当局は事故を隠蔽しました。大きな原子力事故が起こったという初期の情報はソ連からではなく、スウェーデンから伝えられ始めました。少しずつ事故の実態が明らかになり、一体どれだけの放射能がソ連国内やヨーロッパに巻き散らかされ、そして日本にも押し寄せてくるものか、不気味な恐怖感だけが日々高まっていったのをよく覚えています。
まだ地上(大気圏内)でボカスカ核実験競争を行っていた冷戦時代、その真っただ中に育った団塊世代周辺には、「雨にぬれたら頭がハゲるゾ!」 などの生々しい放射能への恐怖感を植え付けられてきました。現代における反核兵器・環境保護からの反原発の理屈だけから出発した世代には理解し難い感覚かもしれません。
この感覚は「ゴジラ」で説明すれば分かりやすい! 今でこそヒーローのゴジラだが、私にとっては不気味で世界を破壊し尽くす巨大なバケモノでしかありませんでした。もちろん映画制作者の誕生のコンセプトが「原爆=ゴジラ」であった訳ですが
、見事にその放射能という目に見えない恐怖を実体化させたものでした。
建物を壊しながら「ど~ん!」「ずし~ん!」という足音とともに近づいてくるゴジラのあの恐ろしさは、現代のモノではなかなか表現し切れません。(この歳になってもあのシーンを思い出すと身が縮みます)
2作目でゴジラは北海道の北方の島で自衛隊(米軍ではない)に氷漬けされ、閉じ込められてしまいます。これは、チェルノブイリの原子炉を閉じ込めるためにヘリから、何千トン何万トンの砂嚢を投下したというソ連軍の非常作戦とピッタリ合致しています。
「ゴジラは原水爆と空襲のメタファーである」という説は、戦後~団塊世代では常識ですが、その後、ヒーローへと転身したゴジラが再び、環境異変や食料危機の権化として我々を襲いに舞い戻ってくるのはもう目の前のことです。その時は、もう決して日本人を救ってくれるヒーローは登場しません。と思いませんか?
チェルノブイリ原子力発電所の画像は「海外で活躍する日本人細胞検査士」より拝借しました。
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