みふうずらの縁側

へっぽこライダー
家族構成は犬・猫・人間、のんびり暮しています。

自分のこと その4

2022-05-11 17:18:00 | 日記
私は自分の事を文章にする事で、自分自身の気持ちを整理して、『海に沈む月』なんて言うくら〜いブログ名を終わらせて、新しい?自分を自分なりに発信して生きたいという気持ちもありまして、嘘偽りの無い自分の過去から現在?に至るまでを、自分自身の言葉で表現して1つ乗り区切りを付けたいと思って「自分のこと」を書き始めました。
これからもっともっと信じられない様な出来事が起きますが、今現在の私は以前ほど両親を嫌って(恨んで…が正しいかも知れません)いないという私的な真実(事実は変えられないと思っていますので)を持って、自分自身と向き合えたら良いと思っています。

前回の続きですが…
端折って言ってしまえば、家から通える短大の音楽科に合格することができました。
ギリギリなんとか引っかかったという表現が正しいです。
家から2時間かけて通いました。
それでも毎日が楽しくて仕方ない日々でした。
多分わたくしメの人生で、この2年間ほど勉強し充実し楽しかった日々は無かったと思います。
ただ2年というのは本当に短くて…あっという間に就職を考える時期が来てしまいました。
音楽科なんてつぶしが効かない学科ですので、何とか普通の企業に勤めながら音楽を続ける方法を模索していました。
出来れば、家を出て1人暮らしが出来る企業への就職先を探していました。

ところが…長女が一浪して大学を卒業したのですが、遊び過ぎて卒業間近まで単位が足りるか足りないかのギリギリの綱渡りをしていましたので、無事卒業はしましたが今で言うフリーター生活に近い生活を卒業した大学付近でしていました。
父は昭和1桁代生まれで、父の頭の中には家督制度がビッシリと詰まっていましたので、何とか長女を地元に戻らせ、地元で就職させ、婿養子を貰って家を継がせる❗️
それ一択で、あらゆるツテを頼って地元での就職先を探して来ましたが、姉は「地元に戻る気は無い」の一言で、父の苦労を無にしてしまいました。
でも父はせっかく就職先の世話をして下さった方の顔を潰す訳にはいかず、何と!わたくしメがその会社に就職する事になってしまいました。
当時のわたくしメは父に逆らうという事を考えた事も有りませんでしたので、父の言う通りに就職させられてしまいました。
それでも一応、筆記試験、一次面接、二次面接は受けて就職しましたが、既にその会社では『大手取引先のコネで入社してくる新入社員がいる』と、実物のわたくしメを見るより先に噂が先行しておりまして…
就職して一年目はひたすら虐めに耐えながら仕事をしました。

そんなわたくしメでしたが、立派に❓好きな人がおりまして…信じられない事に結婚も考える様になっていました💕

両親はわたくしメの結婚に賛成してくれまして、就職2年目の11月に結婚する事に決まりました。
わたくしメにも生きていて良い理由が出来ましたし、わたくしメを必要だと言ってくれ、こんな自分を肯定してくれる人と一生一緒にいられる…夢の様な日々を過ごしておりました。

生きていて良かった‼️
この言葉が全てを表している幸せな日々はずっと続くと信じていましたが、何と表現して良いか…今も分かりませんが、結婚式の2ヶ月前になって、婚約者に癌が見つかりました。
以前から少し気になっていましたので、早く病院に行って欲しいと、本当は気軽な気持ちで伝えて…重い腰を上げて病院に行った結果、一千万人に1人と云う様な珍しく、そして治る見込みの無い癌が発見されたのです。
私は心の中で絶対に治る❗️と信じていました。が、それ以上に不安に押し潰されそうな日々を送っていましたが、当時はまだまだ癌の告知は一般的ではなく、婚約者には知らないふりをして将来の話しをしていました。

私の両親は当然❓手の平を返し、結婚に大反対で、婚約者に会うことも許してもらえず、私がストレスで過呼吸を起こしたのをきっかけに、知り合いの医師に頼み込んで私は無理矢理入院させられ、婚約者に会うことも出来ない状況に追い込まれてしまいました。
その間に婚約は解消されてしまっていました。
それでも毎晩、お互いの入院先から電話をかけ合っていました。
1ヶ月程入院させられた後、私はやっと退院を許され、しごと帰りに彼(元?婚約者)に会いに行き、仕事が休みの日は面会時間いっぱいまで彼に会い、土日休みは奇跡的?に退院出来た彼に会いに行きました。
そんな私を見て母は「お前は色に狂っている。気持ちが悪い」と言いましたが、私は聞こえない振りをして彼に会いに行きました。

続きます。
また後日。





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