ピースバス 宇都宮市駒生町
陸軍駒生射撃場跡地は宇都宮市駒生町にあり市街地の中で,住宅街(西の宮団地)や畑、駒生運動公園が隣接している
南側の道路から西の宮団地方面を観る 写真は以前2009年に撮影したもの
明治時代に造られた独特の高い土塁で三方を囲み、最大距離600メートルの射撃で、主として小銃の基本射撃訓練に使用された。
土塁と赤土の露出した土地は戦後の開拓にも適さなくて、そのまま放置されていた。戦後、警察予備隊の創設に伴い、
拳銃射撃場に利用され、その後の保安隊になってからも小銃射撃場として使用された。
昭和47年ぐらいまでは陸上自衛隊が射撃訓練場として使っていたらしい。
約9万平方メートルの広大な敷地内は、希少な絶滅危惧品種の植物や昆虫の生息地として貴重であると認識されており、
環境省及び栃木県により特別指定の湿地帯に指定されている。 駒生球場と隣接する道路中央付近から撮影
戦後跡地は清水が滲みだす湿地となり、平成13年度には環境省の「日本の重要湿地500」の一つに選定される。
昭和の時代に羽黒山ふもとの鶴田沼に生息する絶滅危惧種のハッチョウトンボをここに移籍したことも
あったが今はどうなっているのだろうか。
いつごろからか周辺は柵で覆われ、立ち入りは禁止されている。この中でサバイバルゲームをやる人が増えたための措置らしい
それ以前は春は山菜の宝庫であり、近所の人が土手に登って山菜取りをよくしていたという
また昭和の時代は近所の子供たちが中で銃弾探し等をしたりして遊んでいたという
10mほどの高さの土が盛られている 当時は土盛りの部分だけで長さ650m 幅230m (4万5千坪程)
東京ドームで換算すると約2個分
当時はなかった3本の木も大きくなっている
土塁北側を走る道路から東から西側に撮影
上の写真でみられるコンクリート製の射撃監視壕?は今でも西の端に残っている 2016年撮影
昭和22年米軍撮影の航空写真
平成28年度の航空写真 東の射撃場区画4面が駒生運動公園(球場)になったことがわかる
隣接する駒生球場 中央の道路、西から撮影 球場周りの土塁は当然なくなっている
駒生球場から道路を挟んで南側に以前はこの近辺の方のご先祖様とみられる慰霊塔があった
おそらく日露戦争での戦没慰霊碑であろうか
2年くらい前にアパートが経って慰霊塔は姿を消した
南側の畑から射撃場跡の土塁を観る。近年では周辺の畑や足銀のグラウンドのあった南側は宅地分譲で住宅地に姿を変えた
射撃場跡地は、現在、国有地として関東財務局総括国有財産管理官の管理の下に置かれている
管理者である関東財務局においては、その環境保全に対しての対応はなく、国有地売却の意向が強く、民間に売却された際には、
(おそらく宅地になるか)、可能ならば行政機関が売却に応じてくれることが最適かつ最善であるとの意向を示している。
また、1億円で市が取得できるという確約をしたという話もあるし、市としては、国が整備し保全することを要望しており、
買収についての要望はしない。双方の意見が平行線で特に進展もなくそのままになっているのが現状のようだ。
>市としては平成14年度より、貴重な動植物が生息する湿地や歴史的価値を有する土塁など全国的レベルの価値を有する財産が存在することから、
所有者である国に対し、自ら保全されるよう要望してきた。 公園・緑地の配置状況や公共施設としての必要性、緊急性など、
本市が当該地を取得して公園や施設等の整備を行うことは難しい。
(宇都宮市 第6回 明保地区まちづくり懇談会 開催結果より)
土塁の南に面した道路を土塁のほぼ西の端、西宮団地付近まで行く
古い地図では確かこの辺りの南側に陸軍墓地の記載があった
西端から土塁北側の道路を東方向に見る
調べたところ、戦後、旧宇都宮陸軍墓地は東妙寺へ払い下げられ民間の墓地へ
戦後に栃木県護国神社(作新学院北側)へ改葬
戦後、護国神社内に忠霊塔を建立。元宇都宮陸軍墓地(現東妙寺墓地)に眠っていた遺骨を忠霊塔へと改葬
西端の丘陵地に現在する東妙寺
墓地の高台から射撃場跡を望む
陸軍駒生射撃場跡地は宇都宮市駒生町にあり市街地の中で,住宅街(西の宮団地)や畑、駒生運動公園が隣接している
南側の道路から西の宮団地方面を観る 写真は以前2009年に撮影したもの
明治時代に造られた独特の高い土塁で三方を囲み、最大距離600メートルの射撃で、主として小銃の基本射撃訓練に使用された。
土塁と赤土の露出した土地は戦後の開拓にも適さなくて、そのまま放置されていた。戦後、警察予備隊の創設に伴い、
拳銃射撃場に利用され、その後の保安隊になってからも小銃射撃場として使用された。
昭和47年ぐらいまでは陸上自衛隊が射撃訓練場として使っていたらしい。
約9万平方メートルの広大な敷地内は、希少な絶滅危惧品種の植物や昆虫の生息地として貴重であると認識されており、
環境省及び栃木県により特別指定の湿地帯に指定されている。 駒生球場と隣接する道路中央付近から撮影
戦後跡地は清水が滲みだす湿地となり、平成13年度には環境省の「日本の重要湿地500」の一つに選定される。
昭和の時代に羽黒山ふもとの鶴田沼に生息する絶滅危惧種のハッチョウトンボをここに移籍したことも
あったが今はどうなっているのだろうか。
いつごろからか周辺は柵で覆われ、立ち入りは禁止されている。この中でサバイバルゲームをやる人が増えたための措置らしい
それ以前は春は山菜の宝庫であり、近所の人が土手に登って山菜取りをよくしていたという
また昭和の時代は近所の子供たちが中で銃弾探し等をしたりして遊んでいたという
10mほどの高さの土が盛られている 当時は土盛りの部分だけで長さ650m 幅230m (4万5千坪程)
東京ドームで換算すると約2個分
当時はなかった3本の木も大きくなっている
土塁北側を走る道路から東から西側に撮影
上の写真でみられるコンクリート製の射撃監視壕?は今でも西の端に残っている 2016年撮影
昭和22年米軍撮影の航空写真
平成28年度の航空写真 東の射撃場区画4面が駒生運動公園(球場)になったことがわかる
隣接する駒生球場 中央の道路、西から撮影 球場周りの土塁は当然なくなっている
駒生球場から道路を挟んで南側に以前はこの近辺の方のご先祖様とみられる慰霊塔があった
おそらく日露戦争での戦没慰霊碑であろうか
2年くらい前にアパートが経って慰霊塔は姿を消した
南側の畑から射撃場跡の土塁を観る。近年では周辺の畑や足銀のグラウンドのあった南側は宅地分譲で住宅地に姿を変えた
射撃場跡地は、現在、国有地として関東財務局総括国有財産管理官の管理の下に置かれている
管理者である関東財務局においては、その環境保全に対しての対応はなく、国有地売却の意向が強く、民間に売却された際には、
(おそらく宅地になるか)、可能ならば行政機関が売却に応じてくれることが最適かつ最善であるとの意向を示している。
また、1億円で市が取得できるという確約をしたという話もあるし、市としては、国が整備し保全することを要望しており、
買収についての要望はしない。双方の意見が平行線で特に進展もなくそのままになっているのが現状のようだ。
>市としては平成14年度より、貴重な動植物が生息する湿地や歴史的価値を有する土塁など全国的レベルの価値を有する財産が存在することから、
所有者である国に対し、自ら保全されるよう要望してきた。 公園・緑地の配置状況や公共施設としての必要性、緊急性など、
本市が当該地を取得して公園や施設等の整備を行うことは難しい。
(宇都宮市 第6回 明保地区まちづくり懇談会 開催結果より)
土塁の南に面した道路を土塁のほぼ西の端、西宮団地付近まで行く
古い地図では確かこの辺りの南側に陸軍墓地の記載があった
西端から土塁北側の道路を東方向に見る
調べたところ、戦後、旧宇都宮陸軍墓地は東妙寺へ払い下げられ民間の墓地へ
戦後に栃木県護国神社(作新学院北側)へ改葬
戦後、護国神社内に忠霊塔を建立。元宇都宮陸軍墓地(現東妙寺墓地)に眠っていた遺骨を忠霊塔へと改葬
西端の丘陵地に現在する東妙寺
墓地の高台から射撃場跡を望む
誠にありがとうございます。尼港事件、第14師団からこちらの記事に辿り着きました。
宇都宮市の管理として、この場所は今後も残して欲しいなと思います。
土塁は現在も変わらず存在します
将来どうなるかは未明です
生まれも育ちも宇都宮なんですが、最近まで第14師団の事を知らず、宇都宮の歴史についても知識不足で、検索したりしているところです。ブログ主さんの記事はとても参考になります。今までの記事も拝見させていただきたいと思います。ご返信ありがとうございました。