徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2024足尾銅山記念館・その後&通洞新梨子油力発電所

2024-10-23 23:01:30 | 足尾/足尾銅山
2024 10/10(木) 栃木県日光市足尾町
日光市教育委員会主催の足尾関連施設見学会の後、足尾町掛水へ
掛水倶楽部の前に建設中の足尾銅山記念館 かつての足尾銅山鉱業所事務所を復元中


建設は順調に進んでいるようだ


もうすぐ日没で、建物の灯りが灯っていた


明治大正期の洋館


隣接する、かつての足尾銅山役宅


日光市の特別市営住宅となっている










灯りが灯っていて、何軒かはまだ入居されている




道路反対側にある新しい市営住宅


日没 渡良瀬地区の共同浴場に灯かりが灯ることはなかった




この共同浴場を利用していたと思われる、渡良瀬エリアの鉱山社宅にも灯りは見えなかった


通洞選鉱所前/銅山観光出口 南にあった渡良新梨子油力発電所の建物 2019 6/5 撮影


大正4年(1915)6月1000kWの出力を持つ非常用発電所の発電機が設置され、昭和8年(1933)には500kW2台が増設されたが、昭和29年から解体され、通洞動力の工場兼倉庫となっていた。


足尾の油力発電所は、大正15年、京都電灯に800KWの湯力発電所ができるまでは日本では例を見なかったものである
建物表面に戦時下の空襲被爆対策の黒色迷彩がされていた


道路側から見る 


通洞動力所跡  2019 6/5 撮影
油力発電所奥の木造で過半部が煉瓦造りの建物はコンプレッサ室で、銅山操業中には削岩機やエアホイスト(バフト)などの動力用の圧縮空気を作っていた機械場


2013?年の大雪の時、屋根が崩壊し、廃墟同然になっていた


コンプレッサはインガソールPE-2:2台、PRE-2、およびPR各1台の計1755馬力を有していた。明治45年に設置したPE-2は当時の日本の鉱山で最大の出力を持つコンプレッサだった歴史があり、60年稼働した実績を持っていた。 (以上 銅山の町 足尾を歩く より)


今回立ち寄った時、両建物の姿はなかった。 動力室は2年前、新梨子油力発電所は昨年取り壊されたと思われる


何か新しい施設を建築中のように見える



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