徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

筑波海軍航空隊記念館

2015-06-21 21:37:27 | 自衛隊基地祭他ミリタリー関連
2015 6/10 茨城県笠間市友部 筑波海軍航空隊跡地

阿見町の予科練平和記念館 の帰途に、ここに寄った。 閉館5時まで後30分しかなかったが入ることにした。

茨城県笠間市にある県立こころの医療センター敷地内及びその周辺には、旧筑波海軍航空隊の司令部庁舎、号令台、地下戦闘指揮所、滑走路などがほぼ当時のままの状態で残されている。ここはかつて、陸海軍が行った体当たり攻撃(特攻)の実行が最初に決められた地、すなわち特攻発祥の地ということだ。この航空隊は昭和9年(1934)に霞ヶ浦海軍航空隊友部分遺隊として開設され、昭和13年(1938)に筑波海軍航空隊と改称される。多くの若者が
この地で訓練を行い昭和20年(1945)太平洋戦争終了と共にその役割を終えた。戦後、跡地は戦後、学校から病院に変わり、現在もその姿をとどめている


司令部庁舎(現:筑波海軍航空隊記念館)


映画『永遠の0』の公開を記念して、2013年12月20日から期間限定で記念館として公開


戦時中の司令部






当時のままの姿で前庭に残る号令台


戦時中、号令台前を行進  後ろは現在しない兵舎


記念館の中へ


93式中間練習機(赤トンボ)の座席とタイヤ


99式艦上爆撃機の主輪ホイル


7つボタンの士官服


零戦21型の胴体部分後ろ約1/4  南方戦線で米軍が捕獲したものの様だ


航空機機銃・機関砲の薬莢


航空兵の服装装備


アメリカのP&W空冷星型エンジン。戦後日本の練習機に搭載されていたもののようだ


昭和時代の懐かしい庶民の部屋を再現してあります。ちゃぶ台が・・


赤とんぼの木製プロペラ


2階の廊下


永遠の0 が映画化(H25.12.21公開)され、主人公が筑波海軍航空隊の教官だったという設定で、当史跡が映画のロケに実際に使用された。
主人公 宮部久蔵は南方戦線で任務に就いた後、筑波海軍航空隊の訓練生の教官、また神風特別攻撃隊の直援機(護衛と戦果確認を任務とする)
だった


司令室  宮部が特攻訓練生の事故の件で故人をかばい、上官に殴られるシーンはここで撮影された


病院棟のセット


宮部教官機を襲う敵機に体当たりし、負傷した訓練生(大石?)の療養場所の撮影はここ


映画では この外套を渡したのか


旧帝国海軍の艦船の模型が多数展示


大和 と 赤城 の模型は大きい


零式艦上観測機のジオラマ  又プラモデル作りたくなった



1944年(昭和19年)に筑波海軍航空隊は、より高度な戦闘機の練習航空隊となった。実用機(零戦)の練習航空隊となったのだ。
3月15日、それまで使っていた93式中間練習機(通称赤とんぼ)を 築城航空隊(福岡)に移動し、大分航空隊(大分県)から
零戦がやってきた


写真は文林堂 世界の傑作機から



他にも地下戦闘指揮所、滑走路跡、地下応急処置所などの史跡があるが今回は時間の関係上パス


昭和の戦時中に思いを巡らす。20歳前の若人がどのような思いで訓練をしていたのだろうか。
生まれていないから実感が沸かないかもしれないが、歴史の史跡を見ておくことをお勧めする
当初、2015年3月末日までの公開期間が1年延長されたということなので、お早めに。 入館500円



















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