本館の美術館は有料なのでPASSし、洋風庭園、日本庭園を見学
なかなか見事な庭園で、レトロな洋風の山荘もいい
(引用文から)
本館は、実業家加賀正太郎が自らの山荘として設計、建てたものです。山荘は大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に増築されました。
第一期山荘は、欧州旅行より帰国した加賀がイギリスの炭鉱主の家を参考に設計したといわれています。この部分は現在では玄関に名残りを残すのみとなっております。
上棟部はイギリスのハーフティンバー工法による建物で、構造は鉄筋コンクリート造、屋根部分には鉄骨組みがなされています。
工事は1928~29年ごろに完了し、今日の山荘の姿ができあがりました。
山荘は1967年に加賀の手を離れ、所有者は転々と移りました。
1990年頃、持ち主である不動産会社が山荘を取り壊し、マンションを建設する計画が持ち上がり、地元住民から強い反対運動が起こりました。京都府から保存について協力の依頼を受けたアサヒビ-ル社は、加賀がニッカウヰスキ-の設立にも参加しており、アサヒビ-ル社と浅からぬ縁もあることから、天王山麓の景観を保全するために山荘を買い上げることになりました。
荒廃寸前だった山荘は、京都府、大山崎町の協力も得て、1996年に美術館として見事に蘇ったのです。
蓮池
庭園には池があり、小川も流れている
紅葉も綺麗だろうな
日本庭園は苔の絨毯もある
立派な這い松
なかなか見事な庭園で、レトロな洋風の山荘もいい
(引用文から)
本館は、実業家加賀正太郎が自らの山荘として設計、建てたものです。山荘は大正時代に木造で建てられたのち、昭和初期に増築されました。
第一期山荘は、欧州旅行より帰国した加賀がイギリスの炭鉱主の家を参考に設計したといわれています。この部分は現在では玄関に名残りを残すのみとなっております。
上棟部はイギリスのハーフティンバー工法による建物で、構造は鉄筋コンクリート造、屋根部分には鉄骨組みがなされています。
工事は1928~29年ごろに完了し、今日の山荘の姿ができあがりました。
山荘は1967年に加賀の手を離れ、所有者は転々と移りました。
1990年頃、持ち主である不動産会社が山荘を取り壊し、マンションを建設する計画が持ち上がり、地元住民から強い反対運動が起こりました。京都府から保存について協力の依頼を受けたアサヒビ-ル社は、加賀がニッカウヰスキ-の設立にも参加しており、アサヒビ-ル社と浅からぬ縁もあることから、天王山麓の景観を保全するために山荘を買い上げることになりました。
荒廃寸前だった山荘は、京都府、大山崎町の協力も得て、1996年に美術館として見事に蘇ったのです。
蓮池
庭園には池があり、小川も流れている
紅葉も綺麗だろうな
日本庭園は苔の絨毯もある
立派な這い松
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