徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2016足尾歴史館・ガソリンカー

2016-10-08 23:56:40 | 足尾/足尾銅山
NPO法人足尾歴史館は、「足尾ガソリン軌道・歴史館線」という名の元、かつて足尾の街を走り、"ガソリンカー"と呼ばれていた機関車の完全復興を目指し、2010年に完全復元した。
ガソリンカーの運行状況:毎月第一土曜・日曜  歴史館の入館料350円で乗ることができる。歴史館は冬期は休業


かつての足尾銅山馬車鉄道
足尾銅山周辺に敷設されていた軌間610mmの鉄道で、明治期の開業時の動力は馬、大正末期にガソリン機関車に変わる。1895年(明治28年)9月に開業。1925年(大正14年)にガソリン機関車を導入し、動力が馬からガソリン機関車に変わる。小瀧(小滝)- 赤倉(あかくら)間の約20kmの「トロ道」と呼ばれた区間を10 - 15km/hで走る。町民や銅山資材の運搬に活躍した。この区間の列車本数は1日15本

明治20年代の馬車鉄道。足尾の渡良瀬付近。昔は馬がたくさんいた


大正14年、当時の占河虎之助社長が来山したおりにガソリンカー第一号車が走った。その時の写真




ガソリンカー軌道は本山製錬所から通洞、そして下の地図には記載が省かれているが、銀山平手前の小滝までの約20km
また、神子内側に沿って柏木平方面にも延びていた


尋常高等小学校卒業の昭和15年あたりまで足尾で過ごした父は、テージーと呼ばれて足尾町民の重要な足だったと言っていた


上間藤あたりだろうか
ガソリン機関車が客車を牽引して走り、「ガソリンカー」とも、また、時間が正確なことから「定時」、機関車の外観から「ひょっとこ」とも呼ばれて親しまれた。1953年(昭和28年)に輸送手段がトラックやバスに取って変わり、本鉄道は廃線となる。


小滝路の宇都野のカーブでよく脱線して、乗客が木の棒でもとに戻した、という話も残っている


当時、T型フォードを改造して作られたというガソリンカー
保存車両はなく、写真と設計図を元に忠実に復元したそうで、そのエンジンは現役当時とおなじ米フォード社製を探して入手したそうです。


フォード製エンジンは約70年前のもので、排気量3285cc、出力40PS。このエンジンを見つけ出すまでに1年以上の歳月を要したとの事。




後部の客車も同じく現役時代のものを忠実に復元したもの全長 2260mm、全幅 1240mm、高さ 2100mm




馬車鉄道の軌間610mmを使ったのでかなり狭い。しかし内側木製でかなりレトロな雰囲気がよく出ている。定員14-15人、車重3t


車体に描かれているヤマイチマークは、鉱山業一筋の意味をこめたもの
足尾銅山を明治期に開発した古河グループの操業者・古河市兵衛が、1877年に鉱山業に専念すると決めた際に制定したマーク


他にも、全国の鉱山などで使われていたレトロな車両、トロッコ等が保管されている。1部レストア中


これは動態保存の様だ


客車はどこかの遊園地にあったものを持ってきたらしい





トロリー




鉱石運搬用のトロッコを引っ張る車両も









動態保存車として KATO4t機






鉄道信号機もレストア中


これは足尾銅山通洞抗で実際に使用していた鉱石運搬台車らしい。木台が朽ちているが


レストア中


大正時代はじめの通洞抗の写真。トロリーに引っ張られる鉱石の搬送台車






最新の画像もっと見る

コメントを投稿