徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

金閣寺

2011-11-15 23:36:24 | 京都散歩
参道から総門



鐘楼  この先受付で拝観料を納めると入場券代わりの紙のお札をくれる

庫裡

紅葉も始まった


鏡湖池と金閣
多分何十年前かの修学旅行で訪れているが寺のイメージはこの金閣のみしか残っていない 写真で見る通り。 もっとゆっくり鑑賞&撮影も場所を替えたかったが人混みで流されてしまった。東日本の震災で外国の観光客が減っているとはいえ、ここは別。西洋からの観光客に人気ある模様
池に写る金閣、庭園も文句無しに美しい。やはり世界遺産かつAAAA級の観光寺院。紅葉が深まった夕暮れ時にまた訪れたい。


庭園
金閣を水面に映す鏡湖池(きょうこち)を中心とする池泉回遊式庭園で、国の特別史跡・特別名勝に指定されている。鏡湖池には葦原島、鶴島、亀島などの島々のほか、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が数多く配されている。




書院と陸舟の松 形を維持するのに手がかかっていそう

陸舟(りくしゅう)の松
方丈北側にある足利義満手植えと伝えられる松。京都三松の一つ


お釈迦様の骨をまつった舎利殿『金閣』が特に有名なため、金閣寺と呼ばれているが正しくは鹿苑寺(ろくおんじ)。
京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺。寺名は足利義満の法名に因む。山号は北山(ほくざん)。寺紋は五七桐[1]。室町時代前期の北山文化を代表する建築で、1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。中心となる建築物である舎利殿を金閣、寺院全体を金閣寺と通称する。
通称「金閣寺」の由来となった金閣は、漆地に金箔を押した三層宝形造の建物で正式には舎利殿と称する(金箔を貼るのは二・三層のみ。ただし最上層のみとする異説もある)。初層・二層・三層のそれぞれに異なる様式を採用した特異な建築である。初層は寝殿造風で「法水院」(ほっすいいん)と称し、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に法体の足利義満坐像を安置する(安置仏像を「阿弥陀如来」とする資料もある)。二層は書院造風(武家造)で「潮音洞」(ちょうおんどう)と称し、岩屋観音坐像と四天王像を安置する。三層は禅宗様の仏殿風で「究竟頂」(くっきょうちょう)と称し、仏舎利を安置する。屋根は椹(さわら)の薄い板を重ねた?葺(こけら葺)で、頂上には金銅製の鳳凰が飾られている。

立ち姿の美しい松は盆栽のようだ

苔の絨毯が綺麗だ














夕佳亭(せっかてい)
金森宗和好みと伝えられる茶室。寄棟造茅葺、三畳敷の席に勝手と土間からなる主屋に、切妻造?葺で二畳敷の鳳棲楼と呼ばれる上段の間が連なっている。夕桂亭の名前は「夕日に映える金閣が佳(よ)い」の意味からつけられたという。



不動堂
天正年間に宇喜多秀家が再建したとされ、金閣寺境内に現存する最も古い建物。本尊は弘法大師作と伝えられる石不動明王。
意外とあっけなく出口の不動堂まで来てしまった。時間にして20分ぐらいだったろうか。後戻りできないし。 出口には土産物店が数件あり、入場者が多いから儲かるだろうなあ




鹿苑寺金閣は国宝保存法により国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧・林承賢(当時21歳)の放火により炎上(金閣寺放火事件)。国宝金閣(舎利殿)は全焼、国宝足利義満座像、運慶作の観世音菩薩像、春日仏師作の夢窓疎石像等10体の木像等も焼失した。なお、頂上にあった鳳凰及び「究竟頂」の額は火災以前に取り外されていたため、焼失を免れて現存し、このうち金銅鳳凰は、1999年(平成11年)に京都市指定文化財に指定されている。林は寺の裏山で自殺を図った。彼の母親は事情聴取のために京都に呼ばれ、その帰りに保津峡で投身自殺した。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』、水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』の題材にもなっている。


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