徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2024京都紅葉・大河内山荘

2025-01-31 18:22:41 | 京都散歩
直指庵を出た後、大覚寺まで歩き、ちょうどバスが発車する時刻だったので嵐山駅行に乗った。
しかし降りる場所をうっかり過ぎてしまい、嵐山繁華街の東の道路の渋滞にはまり、結局渡月橋近くで下車。
少し遅くなってしまったが、あきらめず亀山公園経由で大河内山荘にたどり着く。
夕刻が迫っていたがまだ観光客は入場していたので、入場したのが16時近く。 ここに入るのは初めてだが、前から気になっていた。
入場料が1000円と割高感があったためだが、祐斉亭の3000円と比べると全く問題ない。むしろこれだけ広い敷地を散策するにはもっと時間が必要だった。



大河内山荘(おおこうちさんそう)は京都市右京区嵯峨にある日本庭園。時代劇などで知られる俳優大河内傳次郎が別荘として造営した回遊式庭園である。




昭和9年(1931年)、傳次郎34歳のとき、当時長期保存が難しかったフィルムに対し永く消えることのない美を追究するため自身で設計しこの庭の造営を始めた


映画出演料の大半を注ぎ込み64歳で亡くなるまで30年の歳月をかけてこつこつと作り上げたものである。
大乗閣前庭の回遊路




東の嵐山、遠くは比叡山、西の保津峡を借景にした回遊式であり庭師広瀬利兵衛とともに造営を行った


持仏堂の周辺の、小倉山を借景にのぞむ枯山水庭園。松と白砂の対比が、とても美しい
これだけ広大ないくつもの庭園の庭木の剪定や維持は大変だろう


そして苔庭を見ながら進んだ先には茶室“滴水庵”が


滴水庵(登録有形文化財)明治時代の建築で、大河内傳次郎によるこの地に移築されました。
茶室 建築を手がけたのは、数寄屋師(すきやし)の「笛吹嘉一郎」氏です。


順路の終盤は高台からは保津峡や嵐山の風景




月香亭 四阿からは比叡山と双ヶ丘、京都の市街地が一望できます。




今回は以前拝観料の中に含まれていた抹茶サービスもありませんでした。 時間がなく茶室 妙香庵も行けなかった。


大河内傳次郎資料館 当たり役の丹下左膳姿の写真など大河内傳次郎の姿を伝える施設


大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、1898年(明治31年)2月5日(戸籍上は3月5日)- 1962年(昭和37年)7月18日)は、日本の映画俳優。本名:大邊 男(おおべ ますお)。戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた


『丹下左膳』(たんげさぜん)は、林不忘の新聞連載小説、これを原作とする映画の題名、およびその作品内の主人公である架空の剣士。1927年(昭和2年)から新聞連載小説『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』の登場人物であった、隻眼隻手のニヒルな造型の左膳が人気となり、各社による映画化作品もヒットして、大衆文学、時代劇の代表的なヒーローとなった。




大河内、唐沢弘光カメラとのトリオで撮影した伊藤大輔監督。


右目と右腕のない異様な姿の侍という設定






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