【レイプ・オブ・ベルギー】の【虚偽話】と【南京の虚偽話】

2019年07月05日 21時30分56秒 | 1937年 南京攻略...

第一次世界大戦を初めとして虚偽の戦時宣伝、プロパガンダが、新聞・ラジオなどのマスメディアの発展により大きく使われたのは周知の事実で、現在もプロパガンダは商業コマーシャルを含め、様々な局面で使われている。当然各国の政治や国連なども使っている。中華人民共和国の南京攻略戦前後に関する情報もそれに含まれる。特に1991年に崩壊したソ連のコミンテルンは、宣伝と煽動を活動の中心に据えていたという。そして、第一次世界大戦では、虚偽情報としてドイツ軍への誹謗中傷、悪意の増産という面でプロパガンダが成されている。いわゆる【レイプ・オブ・ベルギー】で、この名前から現代の人間なら、アイリス・チャン氏の『ザ・レイプ・オブ・南京』を想像する方も多いのではないであろうか。アイリス・チャンの書籍は【世界抗日戦争史実維護連合会】が支援して作られた物で、ネーミングからも判るように【虚偽】のプロパガンダ書籍である。
それはそうとして、その第1次世界大戦のプロパガンダについて気になるテキストを見つけたのでご紹介する。
それは、アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ 10の法則』(*1)の中にあった。

引用《
P.96 1行目
「あるとき、三〇から三五人ばかりのドイツ兵が、ゼンプストにある馬方、ダヴィッド・トルデンの家に押し入った。彼らは主人を縛りあげ、その目の前で、十三歳になる娘に五、六人が襲いかかり、暴行を加えた。その後、9歳になる息子を銃剣で切り刻み、トルデンの妻を銃殺した。ベルギー軍の兵士が駆けつけたため、トルデンはすんでのところで生き延びた。ビンプストでは、すべての娘がドイツ兵に捕らえられ、暴行されたという」
P.96 10行目
…少なくとも、戦争前、ゼンプストにそのような名の住人は存在しない上、村の住民の誰一人としてそのような人物を知っていた者はいないという。
》引用終わり

短い文章ではあり、何だか似た話をどこかで聞いたことがあるなと考えたら、1937年の国際安全委員会の日本軍への抗議文・陳情書をまとめた『南京安全区檔案』(*2)にある事件を思い起こす。

引用《
第二一九件
ジョン・マギー氏が聞いた話によれば、十二月十三日から十四日にかけて、南市のある家族13人のうち十一人が日本兵に殺され、女達は強姦されて手足を切断された。二人の小さな子供が生き残りこの話を語った。
》引用終わり


に雰囲気が似ている。

もう少し詳しく、丁度、肯定派でネットでは有名なゆう氏のサイト(*3)に、被害者と称する女性の『証言』が引用されてましたので、当方も引用させて頂く。

引用《
一九三七年十二月十三日の冬の朝、大勢の日本軍が私の家にやってきました。日本軍というのは軍帽をかぶっておりまして、長い銃剣をかついで、革の靴をはいていたのを覚えています。私の父が扉を開けたんです。そして、こんなに大勢の武装した日本人がやってきたのを見て、びっくりして中へ逃げようとした時、父は、日本の兵隊に、後ろから銃でいきなり撃たれて殺されました。
私の母は、その時母屋の方にいました。母は、まだ乳飲み子である私の下の妹を抱いておりました。日本の兵隊は、私の妹を母から奪いとるなり、地面にたたきつけて殺したのです。それから母は服をすべて脱がされ、その場で強姦されて殺されました。
母屋の奥にもう一つ部屋がありまして、私と姉二人ともうひとりの妹の四人は、その部屋に逃げ込みました。そこには私たち姉妹四人を守るために、祖父母も一緒にいました。祖父母は私たちをかばおうとして、私たちの目の前で日本の兵隊に撃たれて、二人とも殺されました。
私の上の姉は、当時十五歳でした。私たち四人はお布団の中に隠れていたんですけれども、その一番上の姉が日本の兵隊に引きずり出されて、机の上にのせられ、はだかにされて、その場で輪姦されました。それから祖母が使っていたつえを下半身に入れられて、そのまま無惨に殺されました。
私の二番日の姉は、当時まだ十三歳でした。十三歳でもやはり上の姉と同じように、引きずり出されて、私たちが隠れていた寝台の上で、日本の兵隊たちによって輪姦されたのです。
当時八歳だった私は、あまりのおそろしさに泣き叫びました。するといきなり、私は銃剣で刺されました。脇を一カ所、それから背中を二カ所です。(夏さんは上衣をめくって傷を示された。)
私は三ヵ所も刺されたために気絶してしまい、何もわからなくなりました。
》引用終わり

まぁ、【違い】は多くあり、WW1のゼンプストの【虚偽】とは違うと言えば違いがあり、全く同じではない。しかし全体的な印象が似ている。読む人によっては、全然違うという見方も確かに出来る。
この話は、お気づきの方は判るはずで、夏淑琴女史の【話】。そして何故【虚偽】なのかは、当方の別の【記事】に掲載してあるのでご参考にしてください。

重要な事なので、ここでも記述しますが、夏淑琴女史は【嘘】を付くような女性ではないと考えております。

【話を創作した第三者】が【ゼンプストの虚偽事件】を参考にしたのではと推測しているだけである。
当時、マギー牧師が主催した赤十字委員会のメンバーには、同居もしていたロシア人(ソ連人)のコーラ・ポドシヴォロフがおり、東京裁判で証言した一件の目撃情報(*4)の事件の事後確認をした人物がいた。当時のソ連は共産主義インターナショナルへの加入のテーゼにもあるように、【宣伝】に力点を入れていたことは間違いない(*3)
ただし、今回は繋がる【史料】が存在しないので、蓋然性の高低をするものは無く、単なる可能性に過ぎないので、飽くまで参考までという話。

 



(*1) 『戦争プロパガンダ 10の法則』 アンヌ・モレリ著(Anne Morelli)/永田 千奈翻訳  草思社(2002年3月)
(*2) 冨澤繁信著『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』 P.292 第五十六号 現在の情勢に関する覚書)
(*3) 【ゆう 南京事件-日中戦争 小さな資料集】の該当箇所
戦争犠牲者を心に刻む会 編 『南京大虐殺と原爆』東方出版 1995年8月(P.14-P.19)
因みに、戦争犠牲者を心に刻む会は、ノーモア・南京の会や松尾環などと繋がる共産党の外郭団体とみられる。
(*4) マギーの目撃は実は目撃していないについての当方サイトの記事
(*5) 江崎道朗著『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』 P.72 1920年8月6日 第二回大会で採決された《第一条 宣伝と煽動は、真に共産主義的性格をもち、第三インターナショナルの綱領及びすべての決定に合致しなければならない》


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