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趣味の写真をちょこちょこと

大阪万博会場近くにある「大阪南港野鳥園」に行ってきました

2024年11月11日 | 日記

大阪南港野鳥園のある大阪南港一帯は、古くは住吉浦と呼ばれ多くの人たちに親しまれていました。同時に豊かな自然に恵まれ、日本でも指折りの渡り鳥の楽園としても良く知られていた所です。 南港一帯はシギやチドリをはじめ、ガンカモ類が渡来し休息し餌を採る、日本における渡り鳥の重要な生息地であったのです。
 
国際都市大阪の発展とともに埋め立て事業、新しい港湾都市づくりが進行し、大阪南港の様子は大きく移りかわりました。大阪南港野鳥園は港湾関係整備事業の一環として、おもに大阪湾岸一帯に生息する水鳥を中心とした野鳥の保護を目的として設置されたもので、現在は臨港緑地として管理されています。 野鳥の観察の場として、自然に親しみ学ぶ場としてご利用できます。 

大阪南港野鳥園からは目前に2025大阪万博の会場が望めます


2025大阪万博の会場は順調に出来上がっているようです

大阪南港フェリーターミナルを出港したサンフラワー号は目前を通過して大阪湾から瀬戸内海へと入っていきます

サンフラワー号は野鳥園の直前を通過していきます

サンフラワー号

鷹の仲間であるミサゴは魚鷹とも呼ばれ ここでは普通に見ることができます

展望塔の目前にある杭に飛来します

杭に止まるミサゴ

ここでは日々普通に見ることができます

アオサギの採餌風景です

アオサギの採餌風景です

この時はウマヅラハギを採っていました

トビも上空を回っています

ミサゴの飛翔です

堤防の外を作業船が行き交います


大阪を流れる淀川右岸河口域から万博会場工事や近隣の建物を見てきました

2024年11月02日 | 日記

大阪を流れる淀川右岸河口域から万博会場工事や近隣の建物を見てきました



▲万博会場の工事中です

▲万博会場のための駐車場工事も進められていました ここから対岸の会場に船舶輸送されるようです

▲ミサゴは魚が主食のため魚鷹とも呼ばれています

 

▲遠くにアベノハルカスが見えました

 

▲トビです

▲ミサゴです

▲淀川河口域は観光船や作業船が行き交っていました

▲WTC ミサゴ 舞洲焼却炉の煙突

▲トビがよく飛んでいました

ハトの大群です

▲ムクドリです


京都 大文字の火床に行ってきました

2024年10月30日 | 日記

京都 大文字の火床に行ってきました

JR東海道本線 山科駅から山科毘沙門堂に向かって歩き始め、最初に出会うのが琵琶湖疎水です

 

琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。

その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に蹴上発電所による水力発電、農地の灌漑、下水の掃流、工業用水などに使われる。

また、疏水を利用した水運も行われた。蹴上発電所による水力発電は通水翌年の1891年6月から運転が開始された。

これは営業用発電所として日本初であり、世界的に見ても先進的な取り組みであった。

その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。

疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見、宇治川を結んだ。

落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。

水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。

無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。

吽形像

阿吽像

禊をおえて

本  堂

本尊・毘沙門天が祀られているお堂です。

徳川家寄進により建てられた本殿や唐門は日光東照宮の建築様式を色濃く受け継いでおり、通常の寺院建築にはあまり見られない鮮やかな彩色や装飾もぜひご覧ください。

 

アオサギ君の見送りを受けて

キセキレイ君もみう送ってくれました

 

山は荒れていました

 

京都タワーもよく見えました

弘法大師堂

大文字送り火は従来から護摩木に自分の名前と病名を書いて火床の割木の上に載せて焚くと、その病が癒るという信仰があります。

又消炭を持ち帰って粉末にして服すると、持病が癒るともいわれています。送り火点火前に先祖の霊や生存する人の無事息災が護摩木に記されます。

この護摩木は送り火の点火資材として当日山上ヘ運ばれ、当夜7時から山上の弘法大師堂でお灯明がともされ、大文字寺(浄土院)住職及び会員らにより般若心経があげられます。

火床は75箇所、第一画の長さは80m、第二画は160m、第三画は120mあります。

大文字の火床は、江戸初期には、杭を打ち、その杭に松明を結びつけていましたが、寛文・延宝の頃より現行の積木法にかわりました。

自然の山膚(山の斜面)に若干土盛し、大谷石を設置し、その上に薪を井桁に組んで積み重ね(高さ約1.3m)、その間に松葉を入れます。

大の中心には金尾と称して特別大きく割木を組んで入れて点火します。

大文字で一番大きな火床です 一画、二画の交点であり三画目の打ち込みになります

毎年8月16日には美しく燃え上がります

その後このお灯明を親火に移し、合図により一斉に送り火が点火されます。

大文字は市内中心部のどこからでも眺望できる位置ですが、足利家が最も眺めのよいように―条通を正面にした、京都御所の池泉にうつるようにしたなど、諸説があります。

ここは三画目の払いの火床になります


三田市の波豆川にコスモスを観に行ってきました

2024年10月19日 | 日記

コスモス(学名:Cosmos)は、キク科コスモス属の総称。また、種としてのオオハルシャギク Cosmos bipinnatus Cav. を指す場合もある。アキザクラ(秋桜)とも言う。

一年生植物の草本。茎は高さ2 - 3mになり、よく枝を出す。葉は対生で二回羽状複葉。細かく裂け、小葉はほぼ糸状になる。頭花は径6 - 10cm、周囲の舌状花は白から淡紅色、あるいは濃紅色。

中央の筒状花は黄色。葯は黄褐色。通常は舌状花は8個。開花期は秋で、短日植物の代表としても知られる。

 

秋に桃色・白・赤などの花を咲かせる。花は本来一重咲きだが、舌状花が丸まったものや、八重咲きなどの品種が作り出されている。

本来は短日植物だが、6月から咲く早生品種もある。

熱帯アメリカ原産。1789年、メキシコからスペインのマドリード王立植物園に送られ、1791年にアントニオ・ホセ・カヴァニレスによってCosmosと名づけられた。

日本には1879年(明治12年)に渡来した。これは美術学校の教師ラグザーがイタリアから持ち込んだものである。秋の季語としても用いられる。

観賞用に栽培される。 日当たりと水はけが良ければ、やせた土地でもよく生育する。

景観植物としての利用例が多く、河原や休耕田、スキー場などに植えられたコスモスの花畑が観光資源として活用されている。

ただし、河川敷の様な野外へ外来種を植栽するのは在来の自然植生の攪乱(かくらん)であり、一種の自然破壊であるとの批判がある。

観賞用のほか食用品種(食用コスモス)もある。

 

 

 

 

 


2024.10.17 大阪府を流れる「淀川を散歩してきました」

2024年10月19日 | 日記

淀川(よどがわ)は、大阪湾に注ぐ日本の一級河川。

滋賀県、京都府および大阪府を流れる淀川水系の本流である。琵琶湖から流れ出る唯一の河川である瀬田川(せたがわ)が宇治川(うじがわ)、淀川と名前を変える。

流路延長75.1 km、流域面積8,240 km2。なお、先述の流路延長は琵琶湖南端よりの延長であり、河口から最も遠い地点は滋賀県・福井県の分水嶺である栃ノ木峠であり、淀川の源の石碑が設置されている。

敦賀駅より北に位置するこの場所は琵琶湖へ流入する河川・高時川の水源地であり、そこからの河口までの直線距離は約130 km、流路延長に換算すると約170 kmとなる。

瀬戸内海に流入する河川の中で流域面積が最も広く、流域人口は西日本で最も多い。

また琵琶湖に流入する河川や木津川などを含めた淀川水系全体の支川数は965本で日本一多い。

第2位は信濃川(880本)、第3位は利根川(819本)となっている。大津市で琵琶湖から流れ出る。ここでは瀬田川と呼ばれる。

京都府に入る辺りで宇治川と名を変え、さらに京都府と大阪府の境界付近、大山崎町で桂川・木津川と合流する。

この合流地点より下流が狭義での淀川となる。その後も大阪平野をおおむね南西に流れ、大阪市で大阪湾に注ぐ。

都島区付近で旧淀川と分流し、以降の本流を新淀川と称する場合もある。旧淀川は大川・堂島川・安治川と名前を変えて大阪湾に注ぐ。

なお、河川法上では琵琶湖が淀川の水源としている。したがって、琵琶湖より流出する瀬田川・宇治川は法律上では淀川本流である。

また、琵琶湖に注ぐ全ての河川も、水系では淀川水系として扱われる。さらに、派川(分流)である神崎川に合流する安威川・猪名川などの河川も淀川水系として包括される。

江戸時代までは大和川も淀川に合流していたが[注釈 2]、付け替えによって本流が分離され、現在は独立した水系として扱われている。

ただし、大和川の旧本流である長瀬川、および平野川が現在でも大和川から分流し、第二寝屋川・寝屋川を経て旧淀川に合流している。

大阪市域は海が近いため地下水には塩気があり、江戸時代には淀川の水が飲料水として使われた。

2001年時点では、水環境の研究者の目線で言えば大阪の水は京都の水と同じくまずい水の最右翼に入るとされているが、天明年間など江戸時代には水は京か大坂かともてはやされていた。

「瀬田川」は瀬田、「宇治川」は宇治、「淀川」は巨椋池の出口にある淀(川が緩んでできた淀みを意味)など、沿岸の地名に由来する。