京都 大文字の火床に行ってきました
JR東海道本線 山科駅から山科毘沙門堂に向かって歩き始め、最初に出会うのが琵琶湖疎水です
琵琶湖疏水は、第1疏水(1890年に完成)と第2疏水(1912年に完成)を総称したものである。両疏水を合わせ、23.65m3/sを滋賀県大津市三保ヶ崎で取水する。
その内訳は、水道用水12.96m3/s、それ以外に蹴上発電所による水力発電、農地の灌漑、下水の掃流、工業用水などに使われる。
また、疏水を利用した水運も行われた。蹴上発電所による水力発電は通水翌年の1891年6月から運転が開始された。
これは営業用発電所として日本初であり、世界的に見ても先進的な取り組みであった。
その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。
疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見、宇治川を結んだ。
落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。
水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上インクラインは一部の設備が静態保存されている。
無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、菊水、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。
吽形像
阿吽像
禊をおえて
本 堂
本尊・毘沙門天が祀られているお堂です。
徳川家寄進により建てられた本殿や唐門は日光東照宮の建築様式を色濃く受け継いでおり、通常の寺院建築にはあまり見られない鮮やかな彩色や装飾もぜひご覧ください。
アオサギ君の見送りを受けて
キセキレイ君もみう送ってくれました
山は荒れていました
京都タワーもよく見えました
弘法大師堂
大文字送り火は従来から護摩木に自分の名前と病名を書いて火床の割木の上に載せて焚くと、その病が癒るという信仰があります。
又消炭を持ち帰って粉末にして服すると、持病が癒るともいわれています。送り火点火前に先祖の霊や生存する人の無事息災が護摩木に記されます。
この護摩木は送り火の点火資材として当日山上ヘ運ばれ、当夜7時から山上の弘法大師堂でお灯明がともされ、大文字寺(浄土院)住職及び会員らにより般若心経があげられます。
火床は75箇所、第一画の長さは80m、第二画は160m、第三画は120mあります。
大文字の火床は、江戸初期には、杭を打ち、その杭に松明を結びつけていましたが、寛文・延宝の頃より現行の積木法にかわりました。
自然の山膚(山の斜面)に若干土盛し、大谷石を設置し、その上に薪を井桁に組んで積み重ね(高さ約1.3m)、その間に松葉を入れます。
大の中心には金尾と称して特別大きく割木を組んで入れて点火します。
大文字で一番大きな火床です 一画、二画の交点であり三画目の打ち込みになります
毎年8月16日には美しく燃え上がります
その後このお灯明を親火に移し、合図により一斉に送り火が点火されます。
大文字は市内中心部のどこからでも眺望できる位置ですが、足利家が最も眺めのよいように―条通を正面にした、京都御所の池泉にうつるようにしたなど、諸説があります。
ここは三画目の払いの火床になります