前回(念仏奉仕団 その1)からの続きです。
二日目の阿弥陀堂のお掃除が終わりました。
続いて、書院の見学です。
書院は国宝や重要文化財指定のものばかりです!
書院内、鴻の間(こうのま)と呼ばれる国宝の広間にて、お抹茶の接待を頂きました。
その後、国宝でもある、雁の間、菊の間、白書院、南能舞台(重文)、北能舞台などを見学しました。
虎渓の庭。写真ではわかりにくいですが、とても迫力のあるお庭です。
最後に、これまた国宝の飛雲閣(ひうんかく)です。
あまり知られていませんが、「金閣、銀閣、飛雲閣」といい京都三名閣の一つです。
金閣寺や銀閣寺は有名ですが、飛雲閣は一般拝観はできないため隠れた名所です。
(たしか前もって電話連絡をすれば拝観可能だったと思います。)
昨年の台風による被害の修復工事をしておりましたが、屋根の修復工事は終わっておりました。
きれいな赤茶というか黄色い真新しい屋根となっていました。
屋根はこけら葺といい、杉の板を重ね合わせているものです。こけら葺は檜皮葺(ひわだぶき)に次ぐ格式の高い屋根です。
下の写真の右手の、障子の見える小さい建物(お風呂だそうです)の屋根も同じこけら葺です。もともとは汚れなどでこういう色に変わっていたそうです。
▶飛雲閣(もともとの屋根の様子と、池に水が張られている様子はこちら)
右手の建物はお風呂の建物だそうですが、お風呂といっても現在のような湯船にお湯を張るのではなく、今で言うサウナのような「蒸風呂」が当時のお風呂だそうです。
余談ですが、蒸風呂に入る際に、汗を吸い取ったり火傷防止のために薄手の衣をまとって入浴していたそうです。その後、入浴の慣習が始まると風呂上がりに汗を拭き取るために着る衣が普及し、それが「浴衣」と呼ばれるようになったそうです。西洋でいうバスローブみたいなものでしょうか。後に浴衣は外着へと変化していったと言われています。もともとは蒸風呂に入る際に着用するものだったんですね。
まだ修復工事中ということで、池の水は抜かれておりました。(池の水が抜かれているのは初めて見ました!)
飛雲閣は船で入るところが正式な入口です。
建物の左側一階部分に階段が見えますが、普段はここまで水がはられており、船でここから入るのだそうです。
ご門主さまとの記念撮影があり、ご親教(ごしんきょう。ご門主さまのおことば)を頂きました。
最後に閉会式があり、念仏奉仕団は終了です。
各奉仕団ごとに感謝状が手渡されました。
昼食のあと、今回の参拝旅行の最後に大谷本廟へ参拝しました。
大谷本廟とは、親鸞聖人のご廟所(びょうしょ。お墓)です。
わかりやすく言うと西本願寺のお墓です。
松山組のうち9名の方の分骨を納骨致しました。
分骨とは、亡き方のお骨の一部を大谷本廟のなかの祖壇(そだん。親鸞聖人のお墓)のそばに納骨することです。
浄土真宗では古くからの慣習です。
これは、先立っていかれた方のみ跡を訪ねるご縁となっていくものです。
そして、家族、子どもや孫たちがご本山 西本願寺にお参りをするご縁を、亡き方が作ってくださっているのだといえます。
こうした参拝旅行の際にご一緒にお参りし納骨されるのも結構ですし、個別でご家族などで納骨されても結構です。
また、どうしても参拝が難しい場合には、住職が代わりに納骨致します。
▶分骨
大谷本廟ではまず、納骨のお勤めを仏殿にてお勤めをします。
その後、祖壇(納骨場所)へ向かいます。明著堂(祖壇の前の礼拝所)にて分骨されたお骨を預けました。
奥の祖壇へとお骨をお持ちします。
名残惜しくもありますが、親鸞聖人のおそばに納骨させていただくありがたいご縁に出遇わせて頂き、皆さんホッと安堵の表情もされていました。
15時に大谷本廟を出発し、帰路に着きました。
念仏奉仕団はスケジュールとしてはハードなものですが、ご本山へご奉仕をさせていただく大変貴重なご縁となりました。
定秀寺から参加された皆さんで記念撮影。
あとお二人いらっしゃいましたが、少しお疲れで休憩をされていたため残念ながら一緒に撮影ができませんでした(T_T)
参拝旅行では名古屋、三重、山陰、茨城、東京、九州、広島など今まで様々なところへ行きました。
毎年どこかしらに参拝し、観光をします。ご本山の本願寺(京都)には2年に一度お参りします。
(※念仏奉仕団はご奉仕がメインになるため、あまり観光の時間が取れませんでしたが、普段はもっと観光やおみやげを見る時間もあります。)
浄土真宗、親鸞聖人ゆかりの地への参拝旅行、そして観光やおみやげ、温泉などたくさん楽しめる良いご縁ですので、是非ともご参加ください♪
二日目の阿弥陀堂のお掃除が終わりました。
続いて、書院の見学です。
書院は国宝や重要文化財指定のものばかりです!
書院内、鴻の間(こうのま)と呼ばれる国宝の広間にて、お抹茶の接待を頂きました。
その後、国宝でもある、雁の間、菊の間、白書院、南能舞台(重文)、北能舞台などを見学しました。
虎渓の庭。写真ではわかりにくいですが、とても迫力のあるお庭です。
最後に、これまた国宝の飛雲閣(ひうんかく)です。
あまり知られていませんが、「金閣、銀閣、飛雲閣」といい京都三名閣の一つです。
金閣寺や銀閣寺は有名ですが、飛雲閣は一般拝観はできないため隠れた名所です。
(たしか前もって電話連絡をすれば拝観可能だったと思います。)
昨年の台風による被害の修復工事をしておりましたが、屋根の修復工事は終わっておりました。
きれいな赤茶というか黄色い真新しい屋根となっていました。
屋根はこけら葺といい、杉の板を重ね合わせているものです。こけら葺は檜皮葺(ひわだぶき)に次ぐ格式の高い屋根です。
下の写真の右手の、障子の見える小さい建物(お風呂だそうです)の屋根も同じこけら葺です。もともとは汚れなどでこういう色に変わっていたそうです。
▶飛雲閣(もともとの屋根の様子と、池に水が張られている様子はこちら)
右手の建物はお風呂の建物だそうですが、お風呂といっても現在のような湯船にお湯を張るのではなく、今で言うサウナのような「蒸風呂」が当時のお風呂だそうです。
余談ですが、蒸風呂に入る際に、汗を吸い取ったり火傷防止のために薄手の衣をまとって入浴していたそうです。その後、入浴の慣習が始まると風呂上がりに汗を拭き取るために着る衣が普及し、それが「浴衣」と呼ばれるようになったそうです。西洋でいうバスローブみたいなものでしょうか。後に浴衣は外着へと変化していったと言われています。もともとは蒸風呂に入る際に着用するものだったんですね。
まだ修復工事中ということで、池の水は抜かれておりました。(池の水が抜かれているのは初めて見ました!)
飛雲閣は船で入るところが正式な入口です。
建物の左側一階部分に階段が見えますが、普段はここまで水がはられており、船でここから入るのだそうです。
ご門主さまとの記念撮影があり、ご親教(ごしんきょう。ご門主さまのおことば)を頂きました。
最後に閉会式があり、念仏奉仕団は終了です。
各奉仕団ごとに感謝状が手渡されました。
昼食のあと、今回の参拝旅行の最後に大谷本廟へ参拝しました。
大谷本廟とは、親鸞聖人のご廟所(びょうしょ。お墓)です。
わかりやすく言うと西本願寺のお墓です。
松山組のうち9名の方の分骨を納骨致しました。
分骨とは、亡き方のお骨の一部を大谷本廟のなかの祖壇(そだん。親鸞聖人のお墓)のそばに納骨することです。
浄土真宗では古くからの慣習です。
これは、先立っていかれた方のみ跡を訪ねるご縁となっていくものです。
そして、家族、子どもや孫たちがご本山 西本願寺にお参りをするご縁を、亡き方が作ってくださっているのだといえます。
こうした参拝旅行の際にご一緒にお参りし納骨されるのも結構ですし、個別でご家族などで納骨されても結構です。
また、どうしても参拝が難しい場合には、住職が代わりに納骨致します。
▶分骨
大谷本廟ではまず、納骨のお勤めを仏殿にてお勤めをします。
その後、祖壇(納骨場所)へ向かいます。明著堂(祖壇の前の礼拝所)にて分骨されたお骨を預けました。
奥の祖壇へとお骨をお持ちします。
名残惜しくもありますが、親鸞聖人のおそばに納骨させていただくありがたいご縁に出遇わせて頂き、皆さんホッと安堵の表情もされていました。
15時に大谷本廟を出発し、帰路に着きました。
念仏奉仕団はスケジュールとしてはハードなものですが、ご本山へご奉仕をさせていただく大変貴重なご縁となりました。
定秀寺から参加された皆さんで記念撮影。
あとお二人いらっしゃいましたが、少しお疲れで休憩をされていたため残念ながら一緒に撮影ができませんでした(T_T)
参拝旅行では名古屋、三重、山陰、茨城、東京、九州、広島など今まで様々なところへ行きました。
毎年どこかしらに参拝し、観光をします。ご本山の本願寺(京都)には2年に一度お参りします。
(※念仏奉仕団はご奉仕がメインになるため、あまり観光の時間が取れませんでしたが、普段はもっと観光やおみやげを見る時間もあります。)
浄土真宗、親鸞聖人ゆかりの地への参拝旅行、そして観光やおみやげ、温泉などたくさん楽しめる良いご縁ですので、是非ともご参加ください♪