先日、研究室仲間と「子供の頃好きだったファンタジー小説を今、読み直すと物語の矛盾にモヤモヤしたり、とんでもない設定を受け入れられなくて楽しめない作品が少なくない」という話をした。私も残念ながら同意した。
子供の頃だって、矛盾やとんでも設定に気づいてなかったわけではないと思うのに、その頃は無意識のうちに「それでもいいのだ」と思えていた気がする。
大人になったようだけど、あの頃の心を忘れたようでちょっと悲しかった雑談話。
先日、研究室仲間と「子供の頃好きだったファンタジー小説を今、読み直すと物語の矛盾にモヤモヤしたり、とんでもない設定を受け入れられなくて楽しめない作品が少なくない」という話をした。私も残念ながら同意した。
子供の頃だって、矛盾やとんでも設定に気づいてなかったわけではないと思うのに、その頃は無意識のうちに「それでもいいのだ」と思えていた気がする。
大人になったようだけど、あの頃の心を忘れたようでちょっと悲しかった雑談話。
私は以前いわゆる「なろう系」の作品を好ましく思っていなかった。こんなテンプレのどこがいいのだろうか、と。(「小説家になろう」系列の作品の中にはもちろんテンプレ小説でないものもあると分かっている。)
今は、テンプレがあるから面白さが生まれていると感じる。
にらめっこは顔のパーツ全部を変化させるより、一部だけを変化させた方が笑ってしまうそうだが、同じような笑い・面白さが「なろう系」にはあると思う。読者がテンプレを知っているから、作者がそれをところどころ変化させるのを面白いと感じられるのではないだろうか。
結局のところ、好きかどうかは人の好みによるとしか言えないが、”物語・ゲームの主人公に転生して無双する”がテンプレ化して、”物語・ゲームの主人公に転生するけど、無双しない”とか”物語・ゲームで無双するけど、転生する先は主人公ではない”とかに派生していき、またそれがテンプレ化して、そこから派生するというような「なろう系」作品の在り方は興味深いと思う。
皆さんは「なろう系」の作品を観たり、読んだりしますか?