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寒さに耐えられる肥料を開発

2023-12-16 08:30:18 | 日記
彼は、チャメ栽培に必要な知識に加えて、日頃から工夫をこらしながら農作業をしました。寒さが特に厳しかったある冬のことです。彼はどんなに寒くても凍らないチャメを作るために特別な肥料が必要だと考え、自らこれを開発しました。その肥料を与えることにより、その冬は彼が作ったチャメだけが凍らずに済んだのです。これを知った人たちは目が飛び出るほどに驚き、彼に尋ねました。「あなたが栽培したチャメはどうして凍らずに済んだのですか?」すると彼は「今年の冬は特に寒さが厳しかったので、寒さに耐えられるよう特別な肥料を与えたのです」と答えました。彼の話を聞いた人たちはまた目を丸くして尋ねました。「へえ、寒さに耐えられるようにする肥料などあるのですか?「もちろんです。考えてみてください。暑い国では果物をたくさん食べ、極寒のロシアや中国では脂がたくさん入った物を食べますよね。それは動物の脂身が寒さをしのぐ助けとなるからでしょう。そこでこう考えたのです。豚の脂を肥料に混ぜてみてはいかがなものかと。研究を重ねた肥料を与えてみたら、チャメは見事に凍らずに済みました。」

変わった生活を送る

2023-12-15 07:31:14 | 日記
イエスが自分のような悪人の身代わりとなってくださったことがとてもうれしく、それから彼は信仰と共にある生活を送るようになりました。彼の父が亡くなった後,彼は父のチャメ農園の跡を継ぎました。放蕩生活を送っていた自分を正しい道へと導こうと尽くしてくれた父への感謝を胸に、チャメ栽培に全身全霊で取り組ました。以前の彼はうめぼれが強く、ほかの人の話に耳を貸すことなどほとんどありませんでしたが、今までの自分の生き方を省みた後は、考え方が変わりとても思慮深くなりました。分別のない言葉遣いや行動がなくなり、農作業をする時も1つ1つ丁寧に考えながら行うようになりました。品質の高いチャメの実を作るためには、枝と根が何よりも重要です。チャメは繊細で元々根と枝が弱いため、実まで十分な栄養を供給できなければ、きちんと育ちません。それに比べてかぼちゃは根と枝が丈夫です。それでかぼちゃにチャメを接ぎ木し、かぼちゃの根と枝を利用してチャメの実に栄養を与える方法を用いました。このような知恵は、長年チャメを栽培してきた人たちが見つけたものです。

放蕩な生活した息子がイエスが罪を引き受けた話を聞いた

2023-12-14 11:21:44 | 日記
2015年の春も終わりを告げようとしていた頃、私はソンジュという町でチャメというマクワウリの1種を栽培している人に会いました。彼が話してくれたチャメの栽培方法は、とても興味深いものでした。また彼は自分の人生についても話してくれました。彼はかつて、現実の辛さから逃れるために、飲酒や賭博に溺れていたそうです彼の父はイエスを信じており、息子に酒と賭博をやめて信仰を持つように強く進めていました。しかし彼は父に逆らい、放蕩な生活送っていました。そんな彼の父が亡くなる数日前、彼は父と話をする機会がありました。そしてその話を通して、イエスがすべての人の罪を引き受けて犠牲となられたことを知り、心を深く揺さぶられたそうです。

イエスの心を持って生きている

2023-12-13 10:57:50 | 日記
私は「こころを売る百貨店」を経営したいと思っています。この世には良くない心を持っているせいで苦しむ人たちがあまりにもたくさんいるからです。彼らの心を変えてあげればどんなに喜ぶでしょうか!人々が「こころを売る百貨店」に来て邪悪で醜い心を捨て、善良な美しい心を選んで買うことができたらどんなに幸せでしょうか!特に美しいイエスの心を選んで自分に入れることができたら、どんなに素晴らしいでしょうか!私は悪で汚れた心を持っていました。いま私はイエスの心を持って生きていることにとても感謝しています。私は多くの人たちがこの心を持って豊かに生きることを切に願っています。

心の移植

2023-12-12 18:54:27 | 日記
私たちは生きていく中で信頼した人に裏切られることがあります。するとその人を信頼できなくなり心を閉ざしてしまいます。その反面、心の美しい人に出会えば『私もあの心を持ちたい』と憧れる気持ちが生じます。すると自然に美しい心と繋がります。わざわざ心の移植手術などしなくても、その心が自分に入ってくるのを感じます。私も自分が汚れた邪悪な醜い心を持つ者と知ってから、自分のことが嫌いになり、この心を捨てたいと思いました。そして人々に慈しみを与えるイエスの大きな愛を知り、感銘を受けました。私の心にもそれと同じものをいれたいと思ったのです。すると私にもイエスの心が流れてくるのを感じました。それは本来の私の心ではありません。私のものではない違う心が、私の中に入って良い方向へと私を導いていくのを感じました。自分が見事に変わっていくのを感じたのです。