早朝大きな揺れで目が覚めた。
慌てて嫁さんに覆いかぶさり
枕元のテレビを片手で押さえて揺れがおさまるのを待ちました。
その時嫁さんのお腹の中にはチーちゃんがいました。
ウチはほとんど被害は無くて
幸い親戚も友人も仕事の関係でも犠牲者はいませんでした。
ただ、被害に合った方の話は聞く機会が多くありました。
仲の良かった新聞社の友人は宝塚に引っ越した直後に震災にあいました。
木造のアパートは崩れ落ち、真っ暗闇の中どこに足を出しても何かを踏んでしまう
やっとの思いで外に出ると暗がりの中信じられない状況がそこにはありました。
ガスのニオイが立ち込めていて「火をつけるな!タバコは吸うな!」と暗い中から声が聞こえたそうです。
少し明るくなってくるとその惨状があきらかになり絶望的な気持ちになり
それでもまだ越してきたばかりで面識も無かった近所の人と辺りを捜索し
残念ながら何体かの遺体を搬送したそうです。
まさに地獄のような光景だったと言っていました。
僕は仕事でどうしても神戸に行かねばならず
震災直後に神戸に行きました。
電車は途中まででそこからはバスと徒歩
三宮は見たこともない街になっていて
斜めになったビルが立ち並ぶ界隈では平衡感覚を失って
歩くことすらできずその場でしゃがみこんでしまいました。
目の前の状況が理解できず、呆然としたまま元町の取引先へ行きました。
朝6時に家を出たのに取引先についたのは昼をまわっていました。
担当者に挨拶をすませると「ご飯食べに行きましょう」と誘われました。
ガレキの中かろうじて残った小さな中華料理屋さんが営業しており、
メニューはラーメンのみでした。
僕のようなよそ者が何の手伝いをするわけでもないのに
こうして暖かい料理を食べるのが申し訳ないような気分でいると
それを察したかのように担当者がこう言った。
「みんな頑張って働いているんです。こうしてお客さんが来てくれるのがありがたいんです。」
そこにはつまらない同情など入り込む余地などない。
必死で立ち上がろうとする現実があるだけでした。
満足な材料もない中で食べたラーメンがどんな味だったのか僕には味わう余裕もありませんでした。
市街地はどこもまるで怪獣映画のセットのようで
いったいどうしたらこうなるのか
取引先の担当者と一緒に車でクライアントのところに向かいながら
窓の外に広がる世界をただただ眺めていました。
それは僕の想像力の限界をはるかに超える光景でした。
仕事を終え、合流した同僚の車で山を迂回して帰りました。
8時間以上かけて大阪に戻った時には
もうその日の出来事が現実であったことを忘れようとする自分がいました。
嫁さんのお腹にいたチーちゃんは5月で10歳になります。
彼女に記憶があるのか定かではないのですが
地震に対しては家族で一番敏感に反応します。
ちょっとした地震でも必要以上に怯えるチーちゃんを抱きしめるたびに
僕はあの朝を思い出すのです。
慌てて嫁さんに覆いかぶさり
枕元のテレビを片手で押さえて揺れがおさまるのを待ちました。
その時嫁さんのお腹の中にはチーちゃんがいました。
ウチはほとんど被害は無くて
幸い親戚も友人も仕事の関係でも犠牲者はいませんでした。
ただ、被害に合った方の話は聞く機会が多くありました。
仲の良かった新聞社の友人は宝塚に引っ越した直後に震災にあいました。
木造のアパートは崩れ落ち、真っ暗闇の中どこに足を出しても何かを踏んでしまう
やっとの思いで外に出ると暗がりの中信じられない状況がそこにはありました。
ガスのニオイが立ち込めていて「火をつけるな!タバコは吸うな!」と暗い中から声が聞こえたそうです。
少し明るくなってくるとその惨状があきらかになり絶望的な気持ちになり
それでもまだ越してきたばかりで面識も無かった近所の人と辺りを捜索し
残念ながら何体かの遺体を搬送したそうです。
まさに地獄のような光景だったと言っていました。
僕は仕事でどうしても神戸に行かねばならず
震災直後に神戸に行きました。
電車は途中まででそこからはバスと徒歩
三宮は見たこともない街になっていて
斜めになったビルが立ち並ぶ界隈では平衡感覚を失って
歩くことすらできずその場でしゃがみこんでしまいました。
目の前の状況が理解できず、呆然としたまま元町の取引先へ行きました。
朝6時に家を出たのに取引先についたのは昼をまわっていました。
担当者に挨拶をすませると「ご飯食べに行きましょう」と誘われました。
ガレキの中かろうじて残った小さな中華料理屋さんが営業しており、
メニューはラーメンのみでした。
僕のようなよそ者が何の手伝いをするわけでもないのに
こうして暖かい料理を食べるのが申し訳ないような気分でいると
それを察したかのように担当者がこう言った。
「みんな頑張って働いているんです。こうしてお客さんが来てくれるのがありがたいんです。」
そこにはつまらない同情など入り込む余地などない。
必死で立ち上がろうとする現実があるだけでした。
満足な材料もない中で食べたラーメンがどんな味だったのか僕には味わう余裕もありませんでした。
市街地はどこもまるで怪獣映画のセットのようで
いったいどうしたらこうなるのか
取引先の担当者と一緒に車でクライアントのところに向かいながら
窓の外に広がる世界をただただ眺めていました。
それは僕の想像力の限界をはるかに超える光景でした。
仕事を終え、合流した同僚の車で山を迂回して帰りました。
8時間以上かけて大阪に戻った時には
もうその日の出来事が現実であったことを忘れようとする自分がいました。
嫁さんのお腹にいたチーちゃんは5月で10歳になります。
彼女に記憶があるのか定かではないのですが
地震に対しては家族で一番敏感に反応します。
ちょっとした地震でも必要以上に怯えるチーちゃんを抱きしめるたびに
僕はあの朝を思い出すのです。