人として生きる 丁字村ブログ

この時代に 人の温もりを感じて感謝できる生き方って どんな立場であろうと同じです。幸せになるためには考え方が大切です。

7月21日の「土用の丑の日」

2011年06月27日 15時46分14秒 | Weblog
ウナギ高騰 我慢の夏 不漁直撃、仕入れ値3割上昇も
毎年上がってますね!
夏にうなぎ
いいですね!
元気でます。
苦しいと、周りが見えなくなるから・・・・
自分の周りが見えなくなる、自分しか見えなくなる、それが大きな後退なんでしょうね。
世界は広く、見つめすぎている自分の可能性だって、本当は、まだまだ深い。
それ、忘れたくないですね。
うなぎ食べて、気持ちも上げていこう!




環境や条件

2011年06月27日 14時26分13秒 | Weblog
蒸し暑いですね。
あと少しで、梅雨も終わりそうですが・・・・
やる気でどうにかなるのは、せいぜい3日くらいのものです。
やる気がない他人、やる気がなくなった自分を見つけたときには、やる気を出さざるを得ない状況、やる気がキープできる環境や条件をちゃんと作らないと、どうにもならないことも多い。
人によっては、それを「カタチから入る」と言う場合もあるが、それとも、また違うように感じている。
たとえば、カタチから入るために使ったお金が、その人の身にとって痛くなければ、容易にあきらめられるからね。
いずれにしろ、やる気に頼り過ぎない、がんばれるシステムを考えた人が、成功するんだと思います。

いい年して未だにわからなくなること - gooランキング

2011年06月27日 08時21分29秒 | Weblog
いい年して未だにわからなくなること - gooランキング

星座の順番は、さっぱり分かりませんね・・・・
自分が、うお座ってことは、知ってますが・・・・
知ってるふりをして、それほど得するわけでもないのに、人は、それをやってしまう。
そして、知らないと言って、どれほどの恥をかくわけでもないのに、知っているふりをして、自分からつじつまが合わない状況を作ってしまったりもする。
きっと、自分の勉強や経験が中途半端なことを自覚しているから、そんなことをしちゃうんだろうなぁ。
もっと「ある」ならば、自分の専門外だから、知らないとかハッキリ言えることもあるだろう。
また反対に、まったく「ない」ときも、恥ずかしさも何もなく、知らないと言えるでしょう。
中途半端が、一番あつかいにくい。
本人にしても、まわりにしても、そうだと思う。
自分の本当に知っていることを見つめて、知らないことは知らない、と言えることが一番の物知りだ。


イマイチな人

2011年06月27日 08時05分41秒 | Weblog
広島・野村監督、審判突き飛ばし退場
溜まっているものが、爆発したんでしょうね。
マエケンも、今年はイマイチ

今年イマイチの森野

落合監督も、不満が溜まってます。
言われたことだけをやっているのは、とても楽だけれど、その結果何の得にもならなかった、という時、誰かのせいにはできない。
言われたことだけをやる、という選択をした自分の責任だ。
なかには、「言われたことだけをやっていればいい」という命令のもとに働く場合もあるかもしれない。
そうだとしても、本当に責任感のある上司でない限り、その結果に対しては、いくらかをそれぞれ個人の責任とする時代になってきたように思います。
だから、結局、自分の責任になるんだから、何をやるにしても、自分で選んでやっているんだ、ってことを自覚した方がいい。
そういう自覚から、いい仕事も生まれてくる。
言われたことをやっているだけの状態からは、いい仕事は生まれようがない。
いい仕事になったかどうかも、きっと、わからないだろう。
自分で作り出してみなきゃいけない。
日本の国内総生産GDPは思わしくないようだ。
ものづくりをする人が少なくなると、そうなる。
コンサルタントばかりじゃ、世の中はうまく回らない。
言われたことばかりでなく、自分で何か生み出すことが大切だ。

来るべき人を待っている

2011年06月26日 11時38分12秒 | Weblog
東日本大震災から100日以上が過ぎた今も、岩手、宮城、福島3県で身元不明の遺体は1700人以上にのぼる。損傷が激しかったり、家族全員が被災していたりして、身元確定が難航しているほか、歯型などから身元がほぼ確定しながら、引き取る親族が現れずに身元不明とされる遺体もある。遺体は安置所で来るべき人を待っている。
大切な人が、そうなっていると思えば悲しいと誰もが思う・・・・
辿り着いて欲しいですね
人間は、基本的に、元気に生きたい、気持ちよくなりたい存在。
だから、忘れたいことも出てきてしまう。
それが他人事であれば、なおさら。悲しい性だけれど、現実かもしれない。
「忘れるな」と責められたら、その時だけは心がちょっととがめるが、
責められれば責められるほど、日々の暮らしに戻りたくなる。
きっと、いつか、どこかで、みんな、何かの当事者になる。
当事者にも、当事者でない人にも、共通する生き方は何だろうか。

安い・うまい・気軽…

2011年06月26日 11時19分04秒 | Weblog
ビニシー
シンプルな飲食店が、大阪を中心に増えつつある。
松山も、見かけたことありますね。
何もかも、最初から創らないといけないとしたら、かなりのセンス、創造力が必要です。
けれど、組み合わせを創ることも、それに似たことだとすれば、もっと多くの人に創造を可能にする。
人は、そういう発想を養っていかないと、狭い世界でこちゃこちゃと同じことをしながら、安心していたり、毎度同じようなストレスを抱えることになるだろうと思います。
新しいものは、なかなか生み出せない。
あるもので、いろいろと組み合わせをつくり、あきらめずに、新しい発想へつながるようがんばっていく。
今の世の中は…と結論づける暇があったら、その「今の世の中」にあるものでなんとか、組み合わせを作ってみる。
今の若者は…と嘆く暇があったら、その「今の若者」にできることで、なんとか、前進してみる。
今の私は何もない…とため息をつく暇があったら、その自分に何もなくても、残っている時間で何かを始める。
そういうことだと思うんです。
創造力の始まりは。
刺激を受けに、東京に行きたいな!