投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

母と暮らした162日。2024年夏の晩飯



47年ぶりに一人暮らしをしている母と暮らすために故郷の岡山に帰ってきたのが2024年5月28日。その日は大雨が降り岡山駅から出るローカル線は全て運休。復旧の見込みなし。代替のバス路線もとっくの昔に廃止、中途半端な午後の時間、誰も迎えを頼める人の顔が浮かばないまま会員になっていたレンタカーで車を借りて家に向かった。軽四を借りるつもりが皆考えることは同じで一番小さな車がプリウスだった。2万円の料金。タクシーならおつりが来る料金。なんか面倒になって借りた。母はどんな顔で迎えてくれたのか覚えていない。たぶん帰省した時と同じような顔で「帰ってきたか」と言ったような気もする。食事の記録はずっと晩飯だけ記録する習慣があったが、この日から6月6日まで記録されていない。


※料理の前に母とか従妹とか書いてあるのは担当者。何も書いていないものは私が作った。

5月29日 台所の流し周りの整理。ゴミ出しの曜日の確認。引っ越しの荷物が届く。母、その量に驚く。確かに入れる場所が無い。
5月30日 転入届を出す。
5月31日 免許証の住所変更。
6月1日 宵っ張りだった母はすっかり早寝になっていた。
6月2日 夜、玄関にホタルが一匹。
6月3日 母に靴を二足プレゼントする。
6月4日 母はガストでエビフライ、グラタン、サラダのセットを食べ、抹茶のソフトクリームを食べる。
6月5日 ソラマメとエンドウマメの収穫
6月6日 豆ごはん、麻婆豆腐

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麻婆豆腐は私が、豆ごはんは母が作った。母は飯を炊くことを欠かさない人で、飯を炊くのは母の担当と決めた。
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6月7日 荷物の整理。ベッド、冷蔵庫や洗濯機などの大きな家財道具は廃棄してきたが、それでも大量の段ボール箱が縁側や座敷に積みあがったまま。
6月8日 焼きめし、鯵の煮物。

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鯵の煮物は母が、焼きめしは私が作った。焼きめしはこう作るというやり方があって、私は自分が作る焼きめしが一番うまいとずっと思っている。焼きめしを作るときは30年使いこんだ中華鍋を使う。きれいに水洗いした中華鍋を火にかけて煙が出るまで熱する。きれいに洗うと不純物が鉄板の表面に無くなるので煙も目立たない。煙が出るくらい熱すると鉄板の表面は250度を超える。この温度になると鉄板の水分は蒸発し、材料が持つタンパク質と水分が化学反応で結びつくこともなく、鉄板にはこびりつかなくなる。油を入れ、鉄板の温度が下がらないよう強火で一気に調理する。塩と胡椒で味付け。お好きならば味の素、オイスターソースも適量で。肝心なのは焦がし醤油。鉄板に隙間を作り醤油をたらし、焦がしたら飯とからませ香りをつける。出来上がりだ。
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6月9日 鶏肉とナスとピーマン、シイタケの味噌炒め、小松菜と油揚げの煮物、ナスとキュウリの漬物。

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畑にナスとピーマンが大量にでき始めた。
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6月10日 ちゃんぽん麺

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買い物に出る手段が無い母は毎週生協で食料品や雑貨を届けてもらっていた。冷蔵庫にはそれで購入した食料品がビッシリ詰まっていた。
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6月11日 母 肉じゃが

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ジャガイモの収穫をしたのは6月5日。その日、母から頼まれて畑に行くとゴロゴロ出てくる。家の裏の路地にジャガイモが積みあがった。
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6月12日 母 トンカツ、焼きシイタケ
6月13日 カレー(母、2杯食べる)

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カレーは大きな鍋に作る。翌日の昼も晩もカレーになる。ハウスのこくまろカレーが好きで良く買っていたのだが、好きというより安かったというのが正解。でもハウスバーモントカレーより単に量が少ないから安かったということに気づいてからはハウスバーモントカレーを買うようになった。母はカレーや丼物、汁物を好んだ。歯が悪いからだろうかと思っていたのだが、そうではなかったことに気づくのはずっと後のこと。カレーは簡単なので頻繁に食べた。
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6月14日 カレー(母)、焼きそば(私)
6月15日 外食でラーメン
6月16日 従妹 従妹が仕事帰りによってくれ料理をふるまってくれた
6月17日 従妹 従妹の家に招かれた
6月18日 従妹 従妹の家に招かれた
6月19日 母 ポテトサラダ、サバの塩焼き、味噌汁

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母はポテトサラダを作りたがった。嫌いじゃないから任せた。昔はコロッケも大量に作っていたが、もう油の始末が面倒になったと作らなくなっていた。サバはフライパンで焼いていた。コンロに付くグリルは後始末が面倒だと封印してあった。
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6月20日 サバの塩焼き、納豆(母は納豆だけ)

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サバは昨日の残りもの。時々は母は食欲が無いと言う。晩飯を抜くこともあった。
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6月21日 母 味噌汁、トマト、チキンカツ
6月22日 カレー
6月23日 カレー
6月24日 お好み焼き、ナスとピーマン、豚肉の味噌炒め
6月25日 スパゲティー、ピーマンのグリル
6月26日 焼きめし、味噌汁、トマト
6月27日 鰯フライ
6月28日 母 味噌汁、漬物、玉ねぎの炒め物

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母は生協で玉ねぎを大量に買い込んでいた。書き留めてはいないが玉ねぎはサラダにしたり味噌汁に入れたり使いまくった。人にあげたりもした。
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6月29日 八宝菜、味噌汁
6月30日 母 豚肉の生姜焼き、チキンカツ

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母は肉を好んだ。10年前に父が他界して気づいたことがあった。父は魚が好きで子供の頃の夕餉には頻繁に魚が出た。母は一人暮らしになって魚を買わなくなった。母は実は魚が嫌いだったのだ。
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7月1日 母 ジャガイモの煮っころがし
7月2日 母 鰯フライ

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この日、神社の森のトビの巣で幼鳥が一羽、羽ばたく。もう見かけは親鳥と区別がつかない。もう一羽いたはずだが見えない。育たなかったか。カラスがその巣を襲う。巣の上から真っ逆さまに落ちるように飛んで巣を落とそうとする。親鳥が山へ追い払う。
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7月3日 スーパーで買った弁当

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朝、空を二羽のトビが連れ立って舞う。巣だったようだ。
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7月4日 母 コロッケ、味噌汁、ピーマンのグリル、トマト

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なんと、トビの巣にもう一羽、幼鳥がいる。育っていたようだ。
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7月5日 豚肉の生姜焼き(母は先に済ます)

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この日は炎天下、不用品の整理を家の外でしていて疲れ果てる。晩飯は母に先に食べてもらった。

先に巣だったトビが巣にいる幼鳥にちょっかいを出す。それを親鳥が追い払う。
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7月6日 母 焼きナス、キュウリの酢の物、オニギリ
7月7日 鶏肉のポトフ

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母の食欲が日に日に落ち始める。洗濯は母の担当、炊事は私が主に担当することにした。冷凍庫に鶏むね肉が大量にあった。どうも母は量を間違えて生協に注文したらしい。その鶏肉を使ってポトフを作った。しっかり煮込み野菜は溶けてしまうくらいにした。母はとても喜んで食べた。頻繁に作ったカレーはチキンカレー。
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7月8日 従兄の新居に草取りの手伝いに行く。
7月9日 麻婆ナス、漬物
7月10日 穴子丼、ピーマンのグリル胡麻油かけ(母、ご飯をお替りする)

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畑のピーマンは採っても採っても実がなる。ピーマンのグリルが簡単なので作っていたが従妹から胡麻油をかけると旨いと教えられ真似した。穴子は明石の物。親戚からいただいた。
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7月11日 カレー

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巣に残った巣立ちできていないトビの幼鳥が巣から落下したようだ。巣の遥か下の枝につかまっていた。
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7月12日 中学高校の同窓生から歓迎会

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中学高校の同級生で年賀状だけの付き合いをしていたのが3人いた。その中の二人が歓迎会を開いてくれた。一人は警官上がりで今は電力会社に勤めていた、もう一人は中学校の校長を勤め上げ、今は再任用で不登校の生徒のクラスを受け持っていた。電力会社に勤めているやつの仕事は暴対要員、不登校なのに学校に来るというのも変だが不登校だけのメンバーだと集まるそうだ、授業?そんなものはしないそうだ。歓迎会の場所は家から4km東に行った小さな街で小学校中学校の同級生がやっている店。記憶にある顔は精悍な少年だったが、店を切り盛りする老人となった同級生はずいぶんむくんだ顔をしていた。金曜日の夜ということもあり、近郷近在の若人が全員集まったかと思うほど店は盛況だった。
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7月13日 大学の同窓生から歓迎会

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大学を卒業してから毎年欠かさず集まっている面々との飲み会。大学の県人会のいつものメンバーが集まる。
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7月14日 冷凍さんま、味噌汁、ポテトサラダ、キュウリの漬物

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巣だっていなかったトビの幼鳥が電信柱まで飛ぶ。やっとまともに飛べた。
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7月15日 インスタントラーメン
7月16日 鰻のかば焼き、白和え
7月17日 岡山駅で買ってきた弁当
7月18日 抜き(昼に食べ過ぎた)
7月19日 焼肉
7月20日 息子 メバルの煮つけ、石蟹の味噌汁、ホンビノス貝の酒蒸し、ガラエビの塩茹で、茹でたアスパラ

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息子が帰ってきた。息子は日生漁港で魚介を買うのを好んだ。アスパラガスは畑に生えているもの。植えているというより自生している。地面すれすれに刈り取ると、数日でまた食べれるものが生えてくる。とても便利。
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7月21日 冷やしうどん
7月22日 青椒肉絲
7月23日 餃子、ピーマンのグリル
7月24日 ほうれん草と豚肉の鍋
7月25日 カレー(母、午後7時前に部屋へ引き上げる)

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この日から母は午後6時代に晩飯を済ませ、即自室へ引き上げるようになる。
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7月26日 他人丼、麻婆豆腐
7月27日 冷やし中華
7月28日 ピーマンの肉詰め

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冷凍庫にひき肉が保存してあって、どう使うか悩んでいたが毎日毎日採れるピーマンと合わせて片づけることが出来た。
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7月29日 カレー、プチトマトと玉ねぎのサラダ
7月30日 お好み焼き
7月31日 ちゃんぽん麺
8月1日 母 肉じゃが、漬物、ピーマンのグリル

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焼きピーマンは切り目を入れて焼き始めた。母は食べやすいと好評だった。

残っていたトビの幼鳥が巣立ったようだ。
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8月2日 冷やし中華
8月3日 大阪へ

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この11月に息子が大阪で結婚式を挙げる。その打ち合わせに大阪へ行く。母も招待状が届いていたが欠席した。
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8月4日 レトルトカレー
8月5日 豚汁、春巻き
8月6日 目玉焼き、ウインナソーセージ

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先に巣だったトビは上手く飛ぶのに、巣立ちの遅かった幼鳥は飛ぶのが下手。
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8月7日 冷凍の餡かけラーメン

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空高くトビが7羽舞う。しんがりは飛ぶのが下手な幼鳥。電信柱で上を舞う7羽を見上げる。さあ、飛べ!
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8月8日 鯖の味噌煮
8月9日 母 カボチャの煮つけ
8月10日 豚肉の生姜焼き
8月11日 ジャガイモと玉ねぎの煮物、味噌汁
8月12日 餡かけ焼きそば
8月13日 母 練り物、漬物、ポテトサラダ、ウインナソーセージ

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福山の叔父の家に母と行く。弟、従妹、従兄も集まりにぎやかに過ごす。母は足が悪いから前日まで行くのを渋ったが叔父が冥途の土産に来てくれと頼み込み、ついてきた。練り物はその時の土産。ソーセージはお中元でもらった。
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8月14日 従妹 茄とピーマンのみそ炒め
8月15日 焼肉
8月16日 息子 ヒラメの煮物、鱧の吸い物

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息子が帰ってきた。いつも通り日生漁港で仕入れてきて息子がふるまってくれた。
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8月17日 ピザ
8月18日 ペペロンチーノ
8月19日 他人丼
8月20日 レトルトカレー(母は晩飯を抜いた)

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母は食欲が無いと晩飯を抜いた。
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8月21日 トマトとハムのサンドウィッチ
8月22日 冷凍ピザ
8月23日 焼肉
8月24日 豚汁、おこわ
8月25日 小松菜と卵の炒め物

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これは母は気に入って何度か作った料理。
小松菜

にんにく


鶏ガラスープ

胡椒

胡麻油

溶き卵を胡麻油で炒め一旦取り出し、ニンニクを炒め小松菜を加え、調味料を合わせて炒める。卵を戻して合わせる。
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8月26日 中華丼、味噌汁
8月27日 ピザ、白菜の漬物
8月28日 鶏肉と豚肉の水炊き
8月29日 餡かけ焼きそば
8月30日 赤飯、ショートケーキ

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この日、母は92歳になった。夕方になるまで失念していて思い出して母にケーキを買ってきて祝おうと提案した。母は喜んで赤飯を炊くと言う。ケーキを買いに出たが田舎なものでケーキ屋は無い。スーパーのパン売り場でショートケーキを二つ買い、それに小さな蠟燭を二つ立て、母と二人で祝った。母は92年間生きてきて初めてケーキで誕生日を祝ってもらったと喜んだ。
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8月31日 焼きめし
9月1日 ちゃんぽん麺、トマトとキュウリのサラダ
9月2日 母 ちらし寿司、焼き鳥、味噌汁
9月3日 外出を取りやめた母を残しフラダンスを見に行く
9月4日 冷や麦、焼きナス
9月5日 ナスの肉味噌炒め、味噌汁、焼きナス
9月6日 たこ焼き、ナスの味噌汁、焼きナス
9月7日 母 豆ごはん、かぼちゃの煮物
9月8日 焼きそば
9月9日 冷や麦
9月10日 餃子、ナスの味噌汁、焼きナス
9月11日 ピザ
9月12日 母 味噌汁、アスパラガスの塩茹で、カボチャの煮物、コンニャクの炒め物
9月13日 焼きそば、鶏の竜田揚げ
9月14日 カレー、中華丼、味噌汁、エリンギの炒め物
9月15日 尾道ラーメン
9月16日 酢豚、豚汁、ポテトサラダ
9月17日 母 オニギリ、カボチャの煮つけ、ウインナソーセージ、卵焼き
9月18日 春巻き
9月19日 ジャガイモの煮つけ、豚汁、キュウリの酢の物

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母が作った。母が作ってくれた料理はこれが最後になった。
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9月20日 麻婆豆腐、大根サラダ、味噌汁
9月21日 法事
9月22日 焼肉
9月23日 パン
9月24日 昼飯の残り、レトルトカレー
9月25日 小松菜と油揚げのおひたし、ほうれん草のおひたし、大根と豆腐の味噌汁、冷奴
9月26日 小松菜のおひたし、ほうれん草のおひたし、コロッケ、焼きナス
9月27日 豚肉の生姜焼き、ナスの味噌汁
9月28日 うどん、小松菜のおひたし、ナスの漬物
9月29日 豚汁、水菜と豚肉の冷しゃぶ、茹でたアスパラガス、大根とキュウリのサラダ
9月30日 ピザ、ワンタンスープ、小松菜のおひたし
10月1日 赤飯、神戸コロッケ、豆腐と小松菜と大根の味噌汁、冷奴

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妻が神戸から帰省してきた。赤飯と神戸コロッケは土産。老詳記の豚まんもあったがそれは翌日に残した。
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10月2日 焼きそば、豚まん、焼きナス

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今日から母はディサービス。張り切って出かけた。
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10月3日 赤飯、おはぎ、漬物
10月4日 カレー、蕪の漬物、大根サラダ
10月5日 うどん
10月6日 麻婆豆腐、大根の味噌汁
10月7日 叔母の葬儀

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長く患った叔母が他界した。母は悲しさを表さなかったが寂しかったと思う。
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10月8日 昨日の精進落としの膳の残り、油揚げと卵の味噌汁
10月9日 スパゲティー
10月10日 ナスの煮びたし、焼きナス、ナスの味噌汁

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ナスが畑にあふれるのでこんな料理になった。
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10月11日 焼きそば
10月12日 ナスの煮びたし、豚肉とピーマンの炒め物、ナスと油揚げの味噌汁、茹でたアスパラガス

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まだまだ暑い。畑に笊をもって行き野菜を収穫する日々が続く。
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10月13日 ワンタンスープ、クラッカー

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母が晩飯はいらないと言うのでこんなので済ませた。
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10月14日 湯豆腐

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ちょっと季節が早いが母が食べやすそうだと思い湯豆腐を作った。
鍋に湯を沸かし中心にタレを入れた蕎麦猪口を置き、それに豆腐を浸し食べる。

<タレ>
醤油
みりん

ネギのみじん切り
鰹節
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10月15日 油揚げの味噌汁、小松菜と油揚げの煮物、ピーマンと豚肉の炒め物
10月16日 栗ごはん、味噌汁、大根サラダ、小松菜と油揚げの煮物
10月17日 白菜の炒め物、小松菜と油揚げの味噌汁、おでん

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母が生協で何玉も白菜を購入。白菜の炒め物をつくってみた。

ニンニク
鷹の爪


鶏ガラスープ
砂糖
醤油

片栗粉

白菜の固い部分はあらかじめ塩で洗い水切りをしておく

白菜だけの炒め物だがこれは旨いのだ。母は喜んで食べてくれた。
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10月18日 餃子、茹でたアスパラガス、赤出汁の玉吸い
10月19日 豚汁、大根のサラダ
10月20日 ピザ、ワンタンスープ
10月21日 カレー
10月22日 豚肉のみそ焼き、小松菜と卵の炒め物、油揚げともやしの味噌汁
10月23日 赤飯、ナスとピーマンのみそ炒め、サツマイモと野菜と卵の煮つけ

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従妹が晩飯を一緒にと招いてくれたが母は足の調子が悪く行けないという。それを伝えるとたくさん作ったから持って帰って欲しいといわれ取りに行った。従妹の家に行くと白人の初老の女性が出迎えてくれて驚く。友人が来ているといったのはこの人だったか。
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10月24日 鮭のムニエル、大根と油揚げとシメジの味噌汁
10月25日 豚肉の鍋
10月26日 煮麺、トンカツ
10月27日 チキンカツカレー
10月28日 オデン
10月29日 小松菜と豆腐の味噌汁、麻婆豆腐。飯は皿、箸とスプーンの併用

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母はずいぶん前から右手が痺れていた。箸が使いずらそうだったのでスプーンを勧めたが右手を使うことは同じで食べにくそうだった。
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10月30日 オデン、チキンカツ、きんぴらごぼう
10月31日 肉うどん、オデン、きんぴらごぼう
11月1日 鮭のムニエル、油揚げの味噌汁、小松菜と卵の炒め物、きんぴらごぼう

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ハローワークでwebデザイナーの職業訓練があったので応募したら不合格になった。年寄りは色々差別されるのだ。これでもIT関係一筋で勤め上げたのに。

職業訓練に入ると今もらっている基本手当が延長されたのだが、それも叶わない。母に来年から何か仕事に就く、今度、弟と母の部屋を掃除すると伝えたら母は涙を流して辛がった。私が働きに出るのが辛いのか、アンタッチャブル、伏魔殿と化した母の部屋を掃除されるのが辛いのか。たぶん後ろの方だ。

母はこの日の午後8時に寝ぼけてデイービスを休むと別室にいる私に電話してきた。
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11月2日 パン、オニギリ、ワンタンスープ

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救急外来に行った日。母は昨晩に続いてデイサービスだとか老人会だとか朝起きたときに言ってきた。これはおかしいと妻と弟に相談した。母に脳腫瘍が見つかった日。肺癌が転移していた。5年前、肺癌が見つかった母は入院検査も治療も拒んでいた。この家で過ごすことを選んだ。この間、かかりつけ医に定期的に通ってはいて4月の検査で検査入院を再び勧められていたが断っていた。その頃、弟から母の足が弱ったと連絡を受けていたが、外出していなかったことから足が弱ったのだと思っていた。足や手の不自由さは脳から来ていたのかと愕然とした。

診断結果が出たのは陽が暮れてからだったので、晩飯はこんな内容になった。母はオニギリには手を付けなかった。
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11月3日 煮麺、小松菜と卵の炒め物

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弟と母の部屋を片付けた。母は晩飯も食べず、すっきりと片付いた部屋で寝てしまった。
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11月4日 豚汁(母のリクエスト)

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私が母に作った最後の料理。母が家で食べた最後の料理。味噌汁が欲しいといったので豚も入れてみた。母は汁は全部飲んだが具は半分も食べなかった。母が食べ物を残すところを始めて見た。
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11月5日 インスタントラーメン

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母はこの日の朝入院した。神戸から妻が帰ってきて一緒に病院に連れて行った。外来で診断を受ける。余命二か月から三か月と伝えられた。肺癌は進行していないと聞いていたのにステージ4だった。脳腫瘍は頭全体に散っており母の年齢では全照射の放射線治療には耐えられないと思った。入院病棟に行くと看護師さんがドアの前で車椅子を持って待っていた。
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11月6日 ビール、ハムエッグ、クラッカー

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一人だと晩飯を作る気もしない。
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母は年明けの3日の早朝に天に召された。その日、付き添っていた弟から連絡を受け外に出たら地面も車も霜で真っ白。空は満天の星が光りオリオン座が西に大きく傾く。そばにはシリウス。その間を大きな流れ星が火花を散らしながら落ちた。死に目に会えなかった息子への母からの挨拶だと信じている。緩和ケア病棟に入院中、母は私が作った味噌汁を飲みたがった。病室に持参したポットに入れた味噌汁を母は飲むことは無かった。

※ここを始めて20年。嬉しい時も辛い時も、ここで文章に昇華させて残してきた。だから今回もこれをここに記す。

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