村井章介 「中世日本の内と外」 筑摩書房 には
「強くかつ継続的な対外的緊張のもとにおかれた高麗は、一元化された意思決定と、その意思が末端へ迅速に伝達されることを要求された」 |
と書かれています。これは地域的対立・自立が日本より極めて強いにもかかわらず、高麗が非常に中央思考の中央集権的な国であったかを説明した文章。今でも韓国で国を維持しようとすると徹底的に力ずくで足並みを揃わせないと、すぐバラバラになるんでしょう。
堅苦しい国ですね韓国は。
こんなだからJリーグで活躍する崔龍洙がジェフ市原時代にJリーグは韓国に比べて『自由奔放』Jリーグでプレーして『子供のころの気持ちを思い出せた』今は『サッカーが楽しくて仕方がない』などと吐露したり、横浜マリノスにいる安貞桓も韓国に帰ってプレーする気は無いと言い放つわけですね。そういや韓国内の景気が良かろうが悪かろうが海外移住者はやたらと多いし。
朝鮮日報(日本語版)には「韓昇助氏が高麗大学名誉教授職を辞任」の記事があります。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/07/20050307000000.html
日本の月刊誌『正論』に「日本の韓国支配は不幸中の幸い」と寄稿した韓昇助(ハン・スンジョ/75)教授が6日、本社に電子メールを送り、「寄稿した文に適切でない単語と表現を使い、社会的物議をかもしたことを心から謝罪する」と明らかにした。 韓教授は「これに対する責任を深く痛感し、高麗大学名誉教授職を辞任し、今後すべての対外活動を慎む」とした。 |
しかし中央日報のインタビューでは韓昇助氏は「所信を書いた、後悔は全くない」と言っています。http://japanese.joins.com/html/2005/0304/20050304202438200.html
私はその言葉を信じたい。
ただインタビューでは「この問題が公論化されることを望む」となっているのですが、であれば引き下がるのが早すぎやしないかとも思う。
以下中央日報(日本語版)の記事全文引用。
韓昇助氏「所信を書いた、後悔は全くない」 韓昇助(ハン・スンジョ)高麗(コリョ)大名誉教授は4日、「日本の植民支配はむしろ民族意識が強化されるきっかけになった」と述べ、寄稿は所信を書いたものだと明らかにした。 --「正論」寄稿のきっかけは。 「最近、真相究明などと言いながら親日行為をした人たちを反民族行為だと責めたてているが、それは当時の状況に対する無知から出てきたものだ。 親日を無条件に反民族行為とすることに意見を表明すべきだという考えで寄稿した。 崔南善(チェ・ナムソン)先生、李光洙(イ・クァンス)先生のように民族文化のために努力した方をもっと理解しなければならないという意味だ」 --日本の植民地支配は幸いだったと書いているが。 「当時、日本が朝鮮を併呑していなければ、ロシアが併呑していた。 この場合、むしろ共産化され、スターリンの民族分散政策で韓民族はばらばらに散らばったはずだ。 したがって日本の植民支配は悪かったのではなく、民族意識を強化するきっかけになったと考えた」 --とはいえ、国民感情を考慮していないのでは。 「冷静に、公正に、客観的に評価しよう。 帝国主義時代は生存競争と弱肉強食の時代だ。 当時の日本も‘弱肉’よりも‘強食’を望んだ」 --「反民族行為真相究明に関する特別法」を左派の論理が入った悪法だと評価しているが。 「最近の左派の行動はとうてい理解できない。 寄稿文を書いたのもこれに反対したためだ。 過去をただすのをやめようというのではなく、ただしてもそれを通じて反省することに意味を置かなければならない。 世論集め式の人民裁判は国を滅ぼす亡国の道だ」 --寄稿に後悔はないか。 「少しも恥ずべきことはない。 ハングルで送った文が日本語に翻訳されたはずだが、ハングルの全文を読んでほしい。 所信に基づいて書いたものであり、むしろこの問題が公論化されることを望む」 2005.03.04 20:24 |
下記は中央日報の社説です。まあ恐ろしいほど視野狭窄状態になっています。
http://japanese.joins.com/html/2005/0306/20050306205626100.html
【社説】日帝支配正当性主張に憤り 高麗(コリョ)大名誉教授の韓昇助(ハン・スンジョ)氏が、日本の代表的右派雑誌「正論」に「日本の植民地支配は不幸中の幸い」という要旨の文を寄稿し、国民を激怒させている。 韓氏は「仮に韓国が当時、ロシアの植民地支配下にあったとすれば、もっと不幸になったはず」という奇怪な仮定を設定した後、「ロシアの民族分散政策で韓民族はばらばらになっていただろう」と主張した。 従軍慰安婦問題についても「戦争中に女性を性的慰安物にしたのは日本だけではなかった。一時的な現象にすぎなかった」とした。 あきれてしまう。 さらには「韓国のマスコミは挺身隊の行動と反日感情を刺激する記事を熱心に報道している」と書いた。 日帝のスポークスマンが現れたのかと錯覚するほどだ。 学者や知識人は、良心と所信に基づいて事実と真実を明らかにする勇気がなければならない。 しかし韓氏の今回の主張は、学問的深部から出てきた所信というよりも蛮勇に近い。 まず学者としては避けなければならない「もし」という仮定を、それも誤った仮定を論旨の出発点としている。 日本でなければロシアが支配したはずだという状況論理自体も敗北主義的であるうえ、日本の植民地統治による民族的傷痕の深みに顔を背けた単純論理にすぎない。 韓半島と韓民族の躍動性を無視した単線的評価であるだけだ。 韓教授はまた、親日派を断罪して過去の真相を究明する現在の作業を「共産主義・左派思想に根差すもの」とした。 左・右派を分類する両極端的思考自体に説得力がないが、左派だから親日派を攻撃するという等式そのものが論理の飛躍である。 彼の文は日本の役割を評価する学界一角の「植民地近代化論」と脈絡が似ている。 しかしその理論も、民族と歴史・文化・国際関係を除去したまま単純に特定時期の経済指標上の発展だけを評価する歴史歪曲だと指摘されて久しい。 今回の件は祖国と民族・歴史が抜けた学問と思想の空虚さを新たに想起させる。 日本の独島(ドクト、日本名・竹島)領有権主張で神経が鋭敏になっている中で出てきた韓氏の主張に慨嘆を禁じえない。 2005.03.06 20:56 |
>「もし」という仮定を、それも誤った仮定を論旨の出発点としている
確かに歴史に「もし」は無いのだろうけど、じゃあ何が正しい仮定なのか?
>韓半島と韓民族の躍動性を無視した単線的評価であるだけだ
「単線的評価」の意味がわからないが、この「韓半島と韓民族の躍動性」が中央日報社説執筆氏が言う正しい仮定なのかもしれない。日本時代以前の「韓半島と韓民族の躍動性」がいつあってどの程度のものだったのか?その捜査(笑)に一度でも成功して世界からまともな評価を受けたことがあるのか?
>民族と歴史・文化・国際関係を除去したまま単純に特定時期の経済指標上の発展だけを評価する歴史歪曲
↑これをそのまま中央日報社説執筆氏に返したい。あなたたちは「歴史・文化・国際関係」を無視せずに自国の評価をしてきたのかと。