ゴールデンウィーク最後の5月6日、ふらっと神戸市北区にある箱木千年家に行ってきました。この日はあいにくの雨模様でしたが雨脚は弱く、雨に洗われた山々の新緑が目に鮮やかで空模様はまったく気になりませんでした。
屋根の色が鮮やかで張りがあるのは、この二月に屋根の葺き替えを行ったからです。葺き替えと同時に修繕も行ったようで、壁の補修もなされ以前よりずっと綺麗になっていました。
主屋の間取りは前座敷三間取り。軒が低く開口部の少ない非常に閉鎖的な建物です。ダム建設にともない現在の地に移築されましたが、その時にもっとも古いと推定される形に復元され現在の姿になりました。移築以前は現在の主屋と西に隣接す離れを一つの大きな屋根で葺いた六間取りの家屋だったそうです。
今の復元された姿の方がカッコイイですね。私は好きです。
土間に石でできた丈夫な流しがありますが、家屋の中の水まわりといえばこれだけ。便所も風呂(風呂があったとすればですが)そういうものは全て外です。住む側にとっては不便ではありますが難しい水の問題を考えなくてすむというとで、家の構造が単純ですっきりでき、なおかつ長持ちさせることができたことでしょう。
移築前の六間取りの時の家の平面図には土間に風呂があったことになっていますが、換気装置つきのユニットバスやタイル、ステンレスの風呂を使い慣れた我々からすれば、じめじめして嫌なものだと思います。実際、子供のころ私はそういう家を見た経験があるので、この感想は実体験でもあります。まあ、当時の人の感覚を現代人の物差でどうこういうのは違反ですね。
日本家屋の特徴は何かというと引き戸を多様しいているところなんですが、その引き戸の基本形が出来上がるのがいつごろかというと鎌倉時代とか室町時代とか言われています。
室町時代のものと言われる箱木家の表側には非常に古い形の引き戸が備わっています。板戸を二本と障子を一本の構成で、それぞれ別の溝を稼動します。もっと古い形では一間ごとに建つ柱の間の半分を壁にして、残り半分の開口部に板戸と障子を立て、壁の後ろに引き込む仕掛けでした。箱木家のものはその半間の壁をやめたわけです。開く大きさは変わりがありませんが、どちらでも開けられるようになりました。
離れの方の写真をみると分かりますが、柱が一間ごとに建っています。これは構造上の制約、というか横材が細いため柱を間引くと屋根の重さを受けきれないためです。柱が省かれた開口部の広い日本民家の縁側が完成するのはこれよりずっと後になります。
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