4回目の命日。
生前使われていたスティック。
自分がついていた頃は、どこかのメーカーの5Bだったな。
このスティックは左右が違うので重さも違う。
自分は既に青山さんが生きた年齢を超えているけど、ボウヤ時代の事はよく思い出す。
早朝の旅で、自分が住んでいた所からは羽田に間に合わないからと言って自宅に泊めさせてもらって一緒に上野毛の急な坂を一緒に上がったこと。
必ずスネアとキックペダルは手持ちで。
スネアケースは茶色の合皮で、いろんな地域に行った証拠の飛行機のタグが沢山付いてた。
靴はスポルディングの茶色の靴で自分もお揃いで買ったりした。
唯一無二のリズムを叩き出す青山さんをステージ袖で踊りながら見守っていたな。