この作品はおおむねオリジナル作品として受け入れられているが、展覧会に出品されたことはなく、一般にはほとんど知られていない。私も作品を実見したことはない。
石鍋真澄『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』2022年8月、平凡社
そんなカラヴァッジョ作品、これまで一度も展覧会に貸し出されたことがない、これまで美術館で公開されたことがないというカラヴァッジョ作品が、ローマのバルベリーニ宮国立古典絵画館にて、初めて一般公開されている。
【AFPBB News】
【ART news JAPAN】
CARAVAGGIO. IL RITRATTO SVELATO
2024年11月23日〜2025年2月23日
Gallerie Nazionali di Arte Antica
Palazzo Barberini
カラヴァッジョ
《マッフェオ・バルベリーニの肖像》
1598-99年、124×90cm
フィレンツェ 個人コレクション
マッフェオ・バルベリーニ(1568-1644)。
フィレンツェの富裕な商家生まれで、教皇庁で成功する叔父の庇護により、教皇庁で働くようになる。
1606年、枢機卿。
1623年、真夏の猛暑&マラリアのコンクラーヴェを経て、第235代ローマ教皇ウルバヌス8世(在位1623-44)となる。
文化・芸術の庇護者として知られる。カラヴァッジョ的には、《イサクの犠牲》1603年・ウフィツィ美術館蔵の注文者であり、美術史的には、教皇になった時に25歳であったベルリーニを在位中重用しつづける。
本肖像画は、その服装が教皇庁会計院のメンバーのものであることから、同メンバーに抜擢された1598年か1599年の作品と言われているという。
カラヴァッジョがサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会のコンタレッリ礼拝堂の「聖マタイ伝連作」により一躍ローマ画壇の寵児となる以前となる。
マッフェオとの接点は、画家の友人で画家のプロモーター的役割を担ったプラスペロ・オルシとされるようだ。その兄が人文主義者の詩人でありマッフェオの詩作の師であったのだという。
2016年の国立西洋美術館「カラヴァッジョ展」には、「マッフェオ・バルベリーニの肖像」の別バージョン、1596年頃の制作とされる個人蔵の作品が、カラヴァッジョ作として出品されていた。
その2016年出品作は、Gianni Papiによる同展図録解説によると、「研究者から長らく等閑に付されていた」とし、過去の経緯を説明する。
「本作をカラヴァッジョに帰属させるのはヴェントゥーリに端を発するもので、以来1950年代まで総じて異論なく容認されてきた」
「ロンギはこうした意見には一貫して否定的な立場を表明し、1951年のミラノの展覧会に本作が出品されることにも反対であった(最終的には彼の反対は押し切られ出品された)」
「その後もう1枚の《マッフェオ・バルベリーニの肖像》がロンギによってフィレンツェの個人の邸宅から発見されるに至り、本作はますます不遇の時代を迎える」
「この時発見された肖像画は間違いなくカラヴァッジョに帰属される作品であり、以後も帰属され続けることから、この発見は事実上、先に発見された本作のカラヴァッジョへの帰属を否定するロンギの確信を、裏付けるものとなってしまった」
そして、Papiは、伝記作者マンチーニの記述「バルベリーニ家のために複数の肖像画を制作した」を紹介し、同作が真筆であることの説明を続ける。
この「ロンギによってフィレンツェの個人の邸宅から発見され」(ロンギによる発表は1963年)たのが、現在ローマで初公開されている作品である。
今までその存在を知ってはいても、注目したことがなかった本作が、突然クローズアップ。
ローマには行けないけど、図録があるならば購入を検討したい。