『シュルレアリスム宣言』100年
シュルレアリスムと日本
2024年3月2日〜4月14日
板橋区立美術館
2024年は、アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表して100年目。
それを記念する本展は、日本におけるシュルレアリスムの展開を辿る。
【本展の構成】
序章 シュルレアリスムの導入
1章 先駆者たち
2章 衝撃から展開へ
3章 拡張するシュルレアリスム
4章 シュルレアリスムの最盛期から弾圧まで
5章 写真のシュルレアリスム
6章 戦後のシュルレアリスム
日本にて、最初にシュルレアリスム的表現が表れたのは、1929年の第16回二科展に出品された東郷青児、阿部金剛、古賀春江らの作品だという。
彼らは直接的にシュルレアリスムを主張したわけではなかったが、その後、フランス留学にて運動を目の当たりにした福沢一郎が、シュルレアリスムを本格的に日本に持ち込む。
そして、1930年代、若い洋画家・画学生を中心に一大ムーブメントとなる。
しかし、戦時体制となり、前衛画家への監視が強化されるなか、1941年にはシュルレアリスムと共産主義の関係を疑われ、瀧口修造と福沢一郎が拘束される事件がおこり、また、画家たちが召集されていき、運動は終息する。
戦後、前衛美術が復活するなか、戦前からシュルレアリスムに取り組んでいた画家が、シュルレアリスムの表現によりメッセージ性の強い作品を制作する。
西洋の最先端運動の真似事・コピー(あるいは、画家の試行錯誤のなかでの取組み)という印象が拭えず、全体としては一歩引いて見る。
それでも時折、これはいい!これはおもしろい!と思う作品がある。
東郷青児《超現実派の散歩》
1929年、SOMPO美術館
✳︎SOMPO美術館のロゴマークになっている。
三岸好太郎《海と射光》
1934年、福岡市美術館
福沢一郎《人》
1936年、東京国立近代美術館
米倉壽仁《ヨーロッパの危機(世界の危機)》
1936年、山梨県立美術館
北脇昇《独活》
1937年、東京国立近代美術館
靉光《眼のある風景》
1938年、東京国立近代美術館
浅原清隆《多感な地上》
1939年、東京国立近代美術館
矢崎博信《時雨と猿》
1940年、宮城県美術館
戦後のシュルレアリスムは、戦争を背景としたメッセージ性が強い作品が並ぶ。戦前の作品群と比べて、成熟感がある。
佐田勝《廃墟》
1945年、板橋区立美術館
鶴岡政男《鼻の会議》
1947年、群馬県立近代美術館
古沢岩美《女幻》
1947年、板橋区立美術館
山下菊二《新ニッポン物語》
1954年、日本画廊
以上から、私的お気に入りを2選。
三岸好太郎《海と射光》
1934年、福岡市美術館
空、海、砂浜。貝、顔を隠した裸婦。
単純化した形態と明るい色彩による叙情。
この年、三岸は31歳の若さで病死している。
浅原清隆《多感な地上》
1939年、東京国立近代美術館
本展(東京展)のメインビジュアルを務める、静寂で叙情的な作品。
少女の頭のリボンは鳩に、手前に散らばるハイヒールは子犬に、変貌する。
1915年に生まれ、召集されて1945年にビルマで行方不明となった浅原の数少ない現存作品であるという。
初見。図版では分からなかったが、実物はたいへん魅力的。
1910年代生まれの画家たち。
当時20歳代で、シュルレアリスムの表現に精力的に取り組んだ画家たち。
その没年の表示を見る。
1990年代・2000年代と、長く活躍した画家もいれば。
浅原のように、1944年あるいは1945年とある画家も多い。
この辺りの感覚は、私にはないもの。