東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

法隆寺-祈りとかたち(東京藝術大学大学美術館)

2014年05月24日 | 展覧会(日本美術)

東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年
法隆寺-祈りとかたち
2014年4月26日~6月22日
東京藝術大学大学美術館

別品の祈り-法隆寺金堂壁画-
2014年4月26日~6月22日
東京藝術大学大学美術館・陳列館 


 先に、入場無料の「別品の祈り」展を訪問。
 あの法隆寺金堂壁画(7世紀末から8世紀初め頃)に、初めて向かい合う。
 全12面の原寸大の焼損前復元。非常に見応えがあった。
 1949年(昭和24年)に焼損した際の、関係者や愛好家の喪失感はいかばかりだったか。


 山下裕二氏『日本美術の二〇世紀』の「1972年高松塚古墳」の章を再読。

 1972年(昭和47年)の高松塚古墳壁画発見時の日本中の異様ともいえる熱気について触れている。
 その熱気は、その23年前の法隆寺金堂壁画の焼損と絡んでいる。

 1958年生まれの著者にとって、1949年の法隆寺金堂壁画の焼損という歴史上の事件は、知識としてだけ知っていること。
 一方、1972年の高松塚古墳壁画の発見は、幼いながらも報道に接して体感としての記憶が残る事件。
 そして現在(←執筆時は2000年、高松塚古墳壁画発見から28年後)。

 1972年当時の日本の多くの「おとな」にとっては、法隆寺金堂壁画の焼損は、それほど昔のことではない事件であった。
 戦後4年、全てが失われた時代における、「国宝」の喪失(その翌年には金閣寺が焼失)。
 高松塚古墳壁画の発見に対する熱気には、その喪失感を埋めてくれるとの期待が込められていたのだ。

 (「キトラ古墳壁画」展にて、高松塚古墳壁画の模写を見たけど・・・・・・。)


 会場には、小サイズだが、焼損後と焼損前復元を比較できる写真パネルが用意されている。
 焼損後の法隆寺金堂壁画もなかなか興味深い。
 焼失ではなく、焼損であり、物理的には存在しているのだから、状態が許すのであれば、一般公開してほしい(さすがに東京まで運べとは言わない)。


 次に、仙台(済)・東京・新潟を巡回する「法隆寺」展に向かうが、そんなことを思っていたので、第一展示室(岡倉天心から始まる東京藝術大学と法隆寺との関係展示)や第三展示室(法隆寺の寺宝)もあるけど、私の興味は、地下2階の第二展示室(法隆寺金堂関係展示)へ。
・国宝≪毘沙門天立像≫、国宝≪吉祥天立像≫
・重文≪天人≫、重文≪鳳凰≫(金堂天蓋付属)
・鈴木空如≪法隆寺金堂壁画模写≫4面(秋田・大仙市所蔵)
をもっぱら見る。

 鈴木空如の模写は、公的な模写ではなく独力による模写であり、3組の模写作品を残したという。
 展示は、昭和7~11年作の3作目。前後期で4面ずつの公開。


 「別品の祈り」展は、スーパーハイビジョン(8K)プロジェクターを用いた映像もよかった(第2号壁画と第5号壁画および第3号壁画と第4号壁画は反転像、第8号壁画と第11号壁画の反転像は部分的に一致、など)し、入場無料でもあるので、会期中に上野に行く機会があれば再訪しよう。



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