ゴッホと静物画 - 伝統から革新へ -
2023年10月17日〜2024年1月21日
SOMPO美術館
17世紀から20世紀の静物画の流れのなかで、ゴッホを位置付けようとする展覧会。
出品作品数は、69点。ゴッホの静物画が25点(すべて油彩画)、17世紀オランダおよびゴッホの時代の画家たちの静物画等が44点となっている。
本作に近づいていくときは、ゴッホではない画家の作品だろうと思っていた。
ゴッホ
《野牡丹とばらのある静物》
1886-87年、100×80cm
クレラー=ミュラー美術館
ゴッホ作との表記に驚き。
展示室内の作品解説によると、
キャンヴァスの大きさ、構図、軽いタッチ、署名の位置(ゴッホは右下に署名することが多い)など、ゴッホとしては特異な作品である。
しかしX線写真から、本作がふたりの格闘家(レスラー)の絵の上に描かれていることが判明し(「ふたりのレスラー」を描いた、というゴッホの手紙も残されている)、さらに別の科学的調査でも、ゴッホが使用した絵の具が確認されている。
確かに、作品のサイズ、署名の位置、そして署名の書体は、ゴッホらしからぬなあと私でも思う。
そして、「ふたりのレスラー」って何?
本作は、クレラー=ミュラー美術館の所蔵であるが、ヘレーネ・クレラー=ミュラーのコレクションに由来するものではなく、1974年にクレラー=ミュラー美術館が購入したものであるようだ。
本作は、当初からその真正が疑われてきたらしい。
2003年発行のクレラー=ミュラー美術館の収録品目録には、「過去にヴィンセント・ファン・ゴッホ作とみなされた」作品として掲載されているという。
次の「X線写真」は、クレラー=ミュラー美術館HPより。
1998年に撮影されたもの。
確かに、「ふたりのレスラー」だ。
ゴッホらしからぬ画題だ。
「ゴッホの手紙」は、1886年1月に、ゴッホから弟テオに宛てたもの。
当時のゴッホは、アントワープに住んでいた。
今週は二人の裸体のトルソを主題とした大作を描いた - フェルラトがポーズさせた二人のレスラーの絵で、ぼくは大いに気に入っている。
また、キャンヴァスのサイズについて、ゴッホのテオ宛て手紙(前掲の手紙より前に出したもの)にて、次のように触れている。
来週の月曜日にはモデルが新しくなる。実際、そのときからぼくは本格的に始めるつもりだ。月曜日のためには大きなカンヴァスを取っておくべきだった。
1883年10月からニューネン(ヌエメン)の両親のもとにいたが、1885年3月、牧師である父が死去、一家は後任の牧師が決まったら牧師館を出なければならない。
ゴッホは、これを機に、1885年11月、アントワープに移る。
1886年1月、アントワープの王立美術学校に登録し、油彩画とデッサンの教室に通い始める。
パリに行くための準備のつもりである。
なるほど、教室での課題なのか。
であれば、「ふたりのレスラー」という画題や作品のサイズ、その後のキャンヴァスの再利用も分かる。
2010年のマクロ・スキャニング蛍光X線調査により、本作には、ゴッホが他作品に用いていた絵の具と筆致が確認される。
加えて、レスラーの風体(全裸ではなく腰布をつけている)が当時の美術学校の記録と一致すること、キャンヴァスの再利用方法が1886年4月から87年初頭のゴッホに特徴的なものであることなどから、本作は再びゴッホ作品に位置づけられる。(展覧会図録参照)
1886年2月から1888年2月まで2年間のパリ時代、ゴッホは「花の静物画」を集中的に制作している。
「色彩のための習作」として格好の主題であること、モデル代が不要であること、売れる期待もあったことなどによるようだ。
本展には、パリ時代制作の「花の静物画」が、上掲の作品のほか、6点出品されている。
以下4選。
《カーネーションをいけた花瓶》
1886年、46×37.5cm
アムステルダム市立美術館
《ばらとシャクヤク》
1886年6月、59.8×72.5cm
クレラー=ミュラー美術館
《青い花瓶にいけた花》
1887年6月頃、61.5×38.5cm
クレラー=ミュラー美術館
《結実期のひまわり》
1887年8月〜9月、21.2×27.1cm
ファン・ゴッホ美術館
最後の「ひまわり」であるが、ゴッホはこの時期、同じような《ひまわり》を本作を含め4点制作している。
他の3点は、クレラー=ミュラー美術館、メトロポリタン美術館およびベルン美術館が所蔵する。
本作は、メトロポリタン美術館所蔵作品の習作と考えられているようだ。
【参考(出品作ではない)】
ゴッホ
《ひまわり》
1887年、43.2×61cm
メトロポリタン美術館