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【画像】2024年8月の「インド細密画」は「ヒンドゥー教系の画派による肖像画」(東京国立博物館東洋館常設展示)

2024年08月28日 | 東博総合文化展
 2023年の府中市美術館の展覧会により、「インド細密画」に少し関心を持った私。
 
 2024年1月から、東博の東洋館の地下1階、一番奥の13展示室に常設展示される「インド細密画」鑑賞を始める。
 概ね1ヶ月単位で展示替えが行われるようであり、今回は8度目の鑑賞。
 
 今回鑑賞(2024年7月30日〜9月1日)
・テーマ:ヒンドゥー教系の画派による肖像画
・展示数:9点
 
 以下、画像を掲載する。
 
 
《女性と庭を散策するメーワール王ジャガト・シング2世》
メーワール派、18世紀中頃
 ジャガト・シング2世(1709~1751年、在位1734~51年)がメーワール王国を治めていた時代、中部インドではマラーター同盟が勢力を伸ばしていました。しかし王はもっぱら享楽に耽っていたといいます。宮殿の向こうに蓮が描かれていることから、おそらくはウダイプルのピチョーラ湖かと思われます。
 
 
《メーワール王立像》
ウダイプル派、18世紀
 メーワール王は頭上に黒いターバンの立ち飾りをつけ、紅白の縞のジャマとよばれる服を着ています。腰には青に金色の緑のパトカとよばれる帯をしめ、右度に短剣を挿し、左腰には長い剣を下げています。画面下に前景の花が並び、上に背景の雲を規則的に描き、アクセントになっています。
 
 
《メーワール王サングラーム・シング立像》
メーワール派、18世紀
 メーワール王国は、8世紀から20世紀までインド西北部のラージャスターン州の一部を支配しました。サングラーム・シングはメーワール王国第61代君主です(在位1710~34年)。メーワール歴代の王はマハーラーナ(武王)とよばれ、他の藩王と区別されています。
 
 
 
《そばかすのある支配者と侍女》
メーワール派、18世紀中頃
 18世紀のメーワール派は、王や貴族の肖像画を盛んに描きました。男性はずんぐりとした体型に表されることが多く、また重要な人物ほど大きく描かれます。背景を単色で塗りつぶし、空を画面の上方に帯状に描くのも、よくみられる特徴です。
 
 
《マールワール王ジャスワント・シング立像》
マールワール派、18世紀末
 ジャスワント・シング(1626~78年)は11歳で父ガジ・シング (1595~1638年)の跡を継ぎ、マールワール王に即位しました。ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーン(1592~1666年)に厚遇され、良好な関係を築きましたが、シャー・ジャハーンの跡を継いだアウラングゼーブ (1618〜1707年)とは長い間対立が続きました。
 
 
《酒盃を手にするデカンの王》
ビーカーネール派、18世紀前半
 くつろいだ姿の王は、白いジャマとよばれる上着を左前に着用していることから、ヒンドゥーの出自であることがうかがえます。絵の裏には、アースカラン王と記されていることから、16世紀のラージプートの君主とも考えられます。
 
 
《ビーカーネール藩王スジャン・シング坐像》
ビーカーネール派、18世紀
 ビーカーネールの藩王スジャン・シング
(1690~1735年、在位1700~1735年)が坐りながら、水たばこを吸っています。彼は、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブの命に従い、10年にも及ぶデカン地方の遠征を行うなど、ムガルとビーカーネールの関係を良好に保つことに努めました。
 
 
《男性貴族立像》
ジャイプル派、18世紀末~19世紀初
 青年貴族は小柄で髭が薄く、鮮やかな縞模様のターバンを頭に巻き、ジャマとよばれる上着を着ています。二重の枠や構図にはムガル派の影響が認められます。絵の裏には「アクバルの息子ジャハンギール」という銘があることから、ムガル帝国第4代君主ジャハンギールの可能性も考えられます。
 
 
《コーター藩王ドゥルジャン・サール立像》
ジャイプル派、19世紀初
 ドゥルジャン・サールは、インド西北部のラージャスターン州を支配したコーター藩王国の王(在位1723~56年)です。白い式服(ジャマ)を着て、腰には帯(パトカ)を巻いています。画面上部に王の名が記されています。
 
 
 
 インド細密画はその細密ぶりに毎度感心するが、人物の肖像画は、神々の世界に比べると、とっつきやすく、その細密ぶりを味わいやすい。
 
 引き続き、展示替えの都度皆勤を目指すのではなく自然体で、展示が一巡するまでを目途に鑑賞するつもり。


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